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『ハンセン病文学全集』編集会議・1 (2001・7・6) |
出席者 編集委員=大岡信・加賀乙彦・鶴見俊輔
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編集協力=國本衛・冬敏之・山下道輔(五十音順)
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言葉の歴史性と重さについて
編集部 まず、今更ながらですが『ハンセン病文学全集』が、果
たして成立するのかしないのかという問題について、ご意見を伺わせていただけたらと思うんですけども。
鶴見 私は、(ハンセン病とは)五十年ほどのつき合いだが、かつて患者の人が「私はらいです」と言ったときにものすごく美しい感じを持ったのです。患者が自分で自らを「らい」と言ったときに根源から逆転していく感じを持った。その言葉に、たいへん動かされたんだが、しかし、私自身はその病気ではない。そうすると、この言葉は使えないと思った。しかしあえて言えば、「ハンセン病」という言葉の方が「らい」より美しくないし弱いのです。それは、生活語じゃないから。だから、自分はこの病気ではないんだから、元患者さんが嫌がる「らい」という言葉は使えないと思って、「ハンセン病」っていう言葉をなるべく使うようにしているんだけども、「ハンセン病」を使うときにやっぱり自分が腰が引けている感じがして、よくないなという感じも同時に起こるんです。やはり「らい」という言葉にはそういう魔力がこもっていますね。そこへ下がってそこから逆転させようっていう強い力があるんですよ。だから英語に直してもね。アイ・アム・ア・レパーっていう言葉は強いですよ。これはアイ・アム・アフリクテッド・ウィズ・ハンセンズ・ディジーズっていうと、これは弱いですよ。
加賀 相手がね、私は「らい」ですからって言ったとき、僕も、美しいと思いました。「らい」という言葉には、美しさと強さがあるんだ。本当にこの病気に対する差別
がなくなったとしたら、家族、縁者、ふるさとへ受け入れられる時がきたら、そのときもういっぺん「らい」という言葉は、復活すべきだと考えられませんか。だってこれは、旧約聖書を含めて二千年以上の間使われてきた言葉なんだから。
鶴見 さっき言いたかったのはそのことなんです。つまり、「らい」っていう言葉の長い歴史の持つ力強さっていうものが、「ハンセン病」と言い換えることで、表現力がずいぶん違ってきてしまう。だから文学で取り上げるときに、例えば『らい文学全集』といったらすごい力をもつ……。
加賀 そう、輝きのある、何かすごいものを感じる。『ハンセン病文学全集』といったらハンセンが発見した菌による病気の文学全集、あるいはハンセン以後の問題ということになって、長い人類の歴史の中における「らい」に対する差別
というものはさっと消えるんですが、その反面、文学的な表現力は弱まってしまう。つまり、「ハンセン病」っていうのは、少なくとも十九世紀にハンセンがらい菌を発見して以後の言葉ですからね。人類の長い長い「らい」との闘いの中で、この文学全集を出すとしたら、やっぱり「らい」という言葉がどこかで必要な気がする。『らい文学』という言葉には、人類の長い長い重荷を背負った文学の集結っていう意味があるのですが、「ハンセン病」じゃあ、特に日本では、戦後使われた言葉ですから、戦前の「らい」の長い迫害、差別
の歴史っていうのは、そこからスーッと抜けちゃう。「らい」って言われるの嫌だっていうが、しかし、それが素晴らしい文学になってるわけなんだ。その力がね、ハンセンと言った途端にそがれちゃう気がするわけ、僕は。力は言葉から出てくるからです。この文学全集はその力に頼って読まれると思うんですよ。
冬 一般の方のイメージの中にね、「らい」っていうと非常な誤解がある。北条民雄の作品を例に出しちゃいけないかもしれないけど、ああいうような重症になって、最後にはノドに穴をあけられたり盲目になったり、ひどい状況になって死んでいくという認識。しかし実際のこの病気はそういうんじゃない。一部の重症の人はいましたが、大多数はそうじゃないし、二割か三割の人たちは自然治癒する。残りの人たちは、「病気が固まった」という言い方をしますが、例えば手が悪かったり足が悪かったりしても、それ以上病気の進行がとまるっていうような人がかなりいた。ところが、日本の療養所では、療養所の職員が十分でない、予算も最小限しかつかない中で、療養所の運営の大きな部分を患者の作業に頼り、何から何まで自営、自活でやってきたわけです。そのツケが、さらに手足を悪くしたり、後から病気が再燃したりということがあって、今日の裁判などの一つの原因としてはそれが争点になったわけです。だから、病気そのものの全体像から見ると、非常に病状の進んだ方たちっていうのは、一部と考えていただいていいんですよ。北条は病気の悲惨な方面
に目を向けて書いたから、「らい文学」という言い方になったというふうに私は理解してるんです。だから、療養所そのものも、一般
の社会ですからね。日本国の中の縮図のような社会です。泥棒もいれば強姦もあれば、社会にあることは、みんなここにもある。それから、お医者さんだって光田健輔のように絶対隔離し、断種をさせて子孫も残させるなという人も、大勢いたけど、そうじゃないお医者さんもたくさんいて、一生懸命患者のために尽くしてくださった。私なんかは、そういう人たちに救われてるわけです。だから療養所そのものが、何か一種の別
世界のような特殊なような形で見てもらうと、ちょっとそれは違う。私は両方知ってますからね。一般
社会も三十三年いましたし、療養所の中に二十六年いましたから。で、両方を見ていると、それがよくわかるんです。だから、その辺のところを、「ハンセン病」という言い方の背景として、社会の人たちにもう少し理解してほしいという気持ちがあります。
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編集部 私も、私たちが思ってる言葉と、それから在園者の方たちが思う「らい」と「ハンセン」との重さが違うんだと思ったことがあって。言葉の問題とは少し違うのですが、草津の在園者の方からお聞きしたのですが、草津には特別
病室(重監房)がありましたよね。そこは病室といいながら患者弾圧の施設で、裁判も受けることなく二十二名の方が亡くなられた。戦後、それが問題になったときに、残しておけば証拠にもなるし、それから、生きた証人っていうか、そういうふうになるでしょう。だけど、在園者の方たちは壊してしまった。「らい」という言葉を「ハンセン病」に変えたことも同じ問題をはらんでいるように思います。
鶴見 私は壊すのはよくわかる。
冬 また再燃されて、そこへ入れられる可能性あったわけですから。
鶴見 重監房は今もかたちを変えてあるから。壊すことに意味がある。
本全集は、長い歴史をもった「らい」文学という視点で編集するし、作品中の「らい」、「癩」という言葉の書き換えもしない、しかし元患者さんの考えに沿って「らい文学」といわずに「ハンセン病文学」でいく。これは矛盾を含んだ解決だ。しかし私は、それでいいと思う。矛盾はやがて思想となりますよ。
(2号へ続く)
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