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『ハンセン病文学全集』編集室トップへ


『ハンセン病文学全集』関連記事のお知らせです。



  2001年7月6日、清瀬市にある高松宮記念ハンセン病資料館にて、『ハンセン病文学全集』編集会議を開きました。
会議には、監修である鶴見俊輔先生、加賀乙彦先生、大岡 信先生、清水 昶さん、冬 敏行さんと多磨全生園の山下道輔さん、國本 衛さん、が参加。
午後2時から9時に皆様にお別れのご挨拶をするまでの、実に7時間に亘る非常に濃い会議となりました。
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補記:
小見出しの中の収録ジャンルについて→第1期は、小説・随筆・生活記録・詩・短歌・俳句・川柳・児童作品(綴り方・詩・短歌・俳句)

2段目1行目・ペンネームもあるが実名での発表、収録も多い→実名での発表はほとんどない。
編集部で知るかぎりでも数名の方しか実名を明かしていない。また療養所に収容されたときには、ほとんどの方が、家族のことを思い実名を棄てる。実名で名乗れないことが、ハンセン病もつ問題点だといってもよい。

2段目末・「長年の患者差別に国が謝罪し、社会的にも関心が高まっている(略)」→国が謝罪する急転には編集部は驚き、かつ反省した点だ。15年くらい前からこの全集を考えていたし、また患者さんや元患者さんの支援としての『ハンセン病文学全集』の刊行を考えていたので、猛省した。

3段8行目・歌人大岡信→詩人・評論家大岡信

3段10行目・大谷藤郎→(財)藤楓協会理事大谷藤郎

3段16行目・國本衛氏→在日韓国・朝鮮人ハンセン病患者同盟委員長國本衛氏

4段17行目・「ライという名称で、過去の忌まわしい記憶に苦しむ患者が多い以上、使うべきかどうか」→これらは、元患者の方々から出されて発言である。

4段14行目・1960‐1970年代にかけ、北条民雄ら優れた才能が…→療養所の中での文学熱が盛んだったのは1960年から1970年代においてであるが、先達として北条民雄がいる。北条は1934年に入所して、1937年に同所で亡くなるまで数々の作品を発表する。


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