安斎庫治聞き書き 日本と中国のあいだで
強固な理論と誠実な実践を生きた一老革命家の軌跡
安斎庫治は日本が第二次大戦期へと突き進む中、日本共産党の指導のもとに闘い続けた。しかし戦後、当時書記長であった宮本顕治のベトナム・中国・朝鮮訪問の報告を聞き、宮本は嘘つきでありもはや彼の指導の下では闘えないと決意。意見書を出したことから党を除名され、新しい革命政党を創るために奔走した。
過去から目を背けず、真のプロレタリアート救済を求め続けた人物の聞き書き・対談集。
著者 | 安斎庫治(述)竹中憲一(編) |
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発売日 | 2018年11月9日 |
ページ数 | 228 ページ |
定価 | 2,500円(+税) |
判型 | 四六判上製 |
装幀・造本 | 藤巻亮一 |
ISBN | 9784774406688 |
目次
第一部 聞き書き――聞き手・竹中憲一
まえがき
〈第一章〉東亜同文書院へ
〈第二章〉ゾルゲ事件と尾崎秀実
〈第三章〉帰国して
〈第四章〉徳田球一と日本共産党
〈第五章〉中国と日本の党
第二部 対談再録
日本共産主義運動の教訓に学ぶ―不屈の五十年、かく闘う 宮本修正主義に代る党を
戦前・戦後における労働運動の特徴と教訓
第三部 資料編
竹中宛書簡(一九八七年二月六日)
参考にした資料
安斎庫治年譜
あとがき(竹中憲一)
安斎庫治(あんざい・くらじ)
1905年生まれ。幼くして「満州」に渡り、上海にあった東亜同文書院の27期生となった。1930年同文書院内に共青団を組織、同年末上海総領事館警察により壊滅、1931年再建されるが1932年にはそれも解体される。後に満鉄調査部所属、戦後は日本共産党中央委員。1967年1月、宮本指導部批判の意見書を提出し除名される。1974年、日本共産党(マルクス・レーニン主義)全国委員会を結成。1993年2月17日心不全で亡くなる。
竹中憲一(たけなか・けんいち)
1946年長崎県生まれ。早稲田大学法学学術院名誉教授。1978~1986年在中国日本語教師研修センター、在北京日本学研究センター(外務省・国際交流基金主催)講師として中国の大学教員に日本語を教える。