第56回 出生地が書かれた随筆集『ふるさと随筆』を人名事典の材料として使う
河原努(皓星社・近代出版研究所)
■帰省のお供に『ふるさと随筆』を
地方出身者である私は、親から「正月は帰らなくてもいいが、墓参りには帰ってこい」と言われており、毎年夏には必ず帰省する。新幹線の中ではたいてい弁当を食べて寝てしまうが、できれば積ん読の本を崩したいので、何かしらは持参する。
車中読書は雑誌やエッセイなど軽いものが向いている(と思っている)ので、今年持っていったのは『ふるさと随筆』という薄い随筆集にした【図1】。別に帰省に引っかけて『ふるさと随筆』というタイトルの本を選んだのではなく、この連載を書く材料として出版人に関する本を読まざるを得なかったのだった……。
【図1】『ふるさと随筆』書影

■ありきたりなタイトルの本ですが
『ふるさと随筆』は昭和29年(1954年)刊、発行は全国出版協会出版部。背や表紙に著者名は無く、奥付には編集兼発行人として橘経雄の名前がある(注1)。四六判より背が少し低い、ハンディな判型だ。182頁。
ありきたりなタイトルだが、帯【図2】には「出版人70氏の書いた新版郷土誌」というリードの下、「読者に馴染ぶかい著名な出版社の、本つくり、雑誌つくりのベテラン七十人がめいめいの“ふるさと”を描いて、全国出版新聞に連載、好評を博した随筆を集めて編んだ」「全国出版新聞100号記念出版」とある。
つまりこの本は“ふるさと”というキーワードで出版業界人に依頼された新聞掲載エッセイを集めた本ということになる。古本でもたまに見かけ、珍しい本ではない(私は週末古書展で200円で拾った)。あと、池島信平や小林勇といった文筆に定評のある人もいるが、大半は見知らぬ人の短い身辺雑記なので、そう面白い本でもない。
【図2】書影の帯付きバージョン

注1 評論家・立花隆の父。立花に「亡き父が見た出版大粛正事件」(『文芸春秋』2005年12月号)という記事がある。
■全国出版協会の「全国出版新聞」
連載元の「全国出版新聞」と、その発行母体である全国出版協会について述べておこう。
太平洋戦争中、出版界は統制団体である日本出版会の指導下にあったが、敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の出した「新聞及び言論の自由への追加措置に関する覚書」により日本出版会は解散を余儀なくされ、新しく日本出版協会が誕生した。敗戦直後は物不足の時代、本を刷れば売れる時代だが、物不足ということは本を作る紙もない。出版用紙の割り当ては出版社にとって死活問題であった。
一方、戦後に次々と誕生した左派出版社は時代背景もあって日本出版協会内で勢力を伸ばした。そのうちのナウカ社、人民社、世界評論社らは民主主義出版同志会を結成、出版界粛清委員会をつくって戦争協力を行った出版社を“戦犯出版社”として指名する動きに出た。講談社、旺文社、家の光協会、主婦之友社ら7社が指名され、さらに誠文堂新光社、文藝春秋社、新潮社らも次の候補とされた。これら戦前からの有力出版社が消えれば、その分、用紙の割り当て枠は空き、自分たち左派出版社に割り当てられる分が増える訳だ。この背景には戦前からの有力出版社と戦後に誕生した新興出版社との世代間闘争も絡んでいる。
指名された7社は日本出版協会を離脱、昭和21年(1946年)4月日本自由出版協会(自由出協)を設立した。その後、様々な状勢の変化もあって、24年中央公論社、改造社などが日本出版協会を脱退して自由出協に合流したのをきっかけに、有力出版社の日本出版協会脱退が相次ぎ、自由出協は発展的解体をして全国出版協会が誕生した。
この辺の流れは、出版科学研究所のウェブサイトでPDF公開されている『全国出版協会70年史』に詳しい。
この全国出版協会の創立に併せて刊行を始めたのが「全国出版新聞」で、創刊5年目の29年に100号を迎え、101号から紙名を「読書タイムズ」と改題。32年日本書籍出版協会(書協)が創立されると、33年書協の機関紙として「読書タイムズ」を引き継ぐ形で週刊書評紙「週刊読書人」が創刊された(そのため同紙は第223号を創刊号とする)。39年書協から独立して株式会社読書人が発足。つまり「全国出版新聞」は今日まで続く「週刊読書人」の継続前紙ということになる。
■1950年代を代表する出版人たち
『ふるさと随筆』の執筆者を掲載順に抜き出してみた。“ふるさと随筆”なので文章の末尾に出生地(ふるさと)の記載があり、さらに当時の肩書も添えられている。先頭の石川数雄の場合「大分県宇佐郡高家村生」とあるが、ここでは都道府県名までにした(入力が大変なので……)。帯には70人とあったが、数えたら正確には66人だった。不思議な並びだなと思ったら、これはイロハ順のようだ。
石川数雄 (大分 主婦の友社社長)
石山皆男 (秋田 ダイヤモンド社取締役)
池島信平 (東京 文芸春秋新社取締役・編集局長)
飯塚武雄 (群馬 宝文館専務取締役)
今堀文一郎 (滋賀 愛隆堂社長)
林麟四 (岡山 小学館常務取締役)
羽仁賢良 (山口 婦人之友社取締役・業務部長)
戸田節治郎 (愛知 地球出版社長)
千葉源蔵 (山形 文芸春秋新社取締役・営業部長)
布川角左衛門 (新潟 岩波書店編集部長)
奥原潔 (島根 家の光協会専務取締役)
尾張真之介 (千葉 講談社顧問・元専務取締役)
相賀徹夫 (東京 小学館社長)
小川誠一郎 (東京 誠文堂新光社社長)
小倉政太郎 (福島 東洋経済新報社常務取締役)
小野高久良 (埼玉 博友社社長)
岡沢一夫 (東京 トッパン専務取締役)
大下正男 (東京 美術出版社社長)
大島秀一 (新潟 主婦と生活社社長)
神吉晴夫 (兵庫 光文社常務取締役)
神山裕一 (埼玉 実業之日本社出版局長)
加賀見忠作 (東京 小学館取締役・編集局長)
横関愛造 (長野 改造社取締役)
田村年雄 (山形 講談社取締役)
田中定雄 (青森 同志社取締役・婦人生活編集長)
高橋哲之助 (群馬 講談社取締役)
高橋芳郎 (愛知 家の光協会業務部長)
高浜年尾 (東京 ホトトギス社代表)
高森栄次 (石川 博友社常務取締役)
辻村彦次郎 (静岡 日本教文社社長)
内田篤次 (長野 内田老鶴圃圃主)
野間省一 (静岡 講談社社長)
栗本和夫 (奈良 中央公論社専務取締役)
草野貞之 (福岡 白水社社長)
矢崎寧之 (静岡 日本社社長)
山本英吉 (北海道 中央公論社常務取締役・婦人公論編集部長)
増田義彦 (東京 実業之日本社社長)
牧野武夫 (奈良 牧野書店社長)
増山新一 (東京 東京堂取締役・出版部長)
深井深 (長野 旺文社常務取締役・総務部長)
淵脇済 (鹿児島 リーダースダイジェスト日本支社総務部長)
福林正之 (北海道 日本出版協同社長)
小林勇 (長野 岩波書店専務取締役)
近藤善勝 (東京 婦人画報社取締役・編集部長)
国分夙 (東京 英語通信社取締役)
江草四郎 (兵庫 有斐閣社長)
赤尾好夫 (山梨 旺文社社長)
阿部捷男 (山形 主婦の友社取締役・販売部長)
佐佐木茂索 (京都 文芸春秋新社社長)
佐藤義夫 (東京 新潮社社長)
佐藤征捷 (徳島 平凡社常務取締役)
佐藤菊三郎 (茨城 新潮社常務取締役)
沢村三木男 (東京 文芸春秋新社常務取締役)
北原鉄雄 (福岡 アルス社長)
北原義雄 (福岡 アトリエ出版社社長)
宮川三郎 (富山 東洋経済新報社会長)
宮本信太郎 (茨城 中央公論社常務取締役)
下中弥三郎 (兵庫 平凡社社長)
篠崎侃二 (茨城 泰文堂社長)
比留間薫 (埼玉 研究社取締役・業務部長)
本吉信雄 (福岡 婦人画報社専務取締役)
茂木茂 (群馬 光文社社長)
森本栄 (岡山 主婦の友社取締役・編集部長)
鈴木艮 (大阪 誠文堂新光社総務局長)
陶山巌 (島根 集英社専務取締役)
周防時雄 (東京 明文堂社長)
こうしてみると1950年代を代表する出版人たちが並んでいる。字面的に顔なじみの面々だが、私がかつて編集した『出版文化人物事典』(日外アソシエーツ、平成23年)に未掲載の人物を数えたら18人いた。66人中の18人なので、およそ3割弱が新規書き起こしの対象者となる。具体的にいうと、石山皆男、飯塚武雄、小倉政太郎、岡沢一夫、田中定雄、高橋芳郎、高浜年尾、矢崎寧之、淵脇済、近藤善勝、国分夙、阿部捷男、佐藤菊三郎、宮川三郎、篠崎侃二、比留間薫、森本栄、周防時雄。
高浜虚子の長男である俳人の高浜年尾を除けば、マイナーな人ばかりだから調べるのが大変だ。矢崎寧之は雑誌『話の特集』編集長であった矢崎泰久の父のようだが、こういった読むべき資料が多い人も大変なのだった。
今回は宝文館出版社長となる飯塚武雄と明文堂2代目社長の周防時雄を作ったが、訃報は掴めなかった。廃業した出版社の人は社長といえど業界を離れるからか、訃報が出ないんだよなあ。なお泰文堂社長の篠崎侃二(本名・篠崎萬蔵)について調べたら、同社はコミックやライトノベルを出版しているアース・スター エンターテイメントになっていて驚いた。
■出身地が書かれた随筆集を人名事典の材料として使う
すでに『出版文化人物事典』に収録している人物でも、情報が足せる場合がある。例えば小学館の林麟四は当時の調査では「岡山県出身」としか書けなかったが、『ふるさと随筆』のおかげで「岡山県都窪郡妹尾町生まれ」とわかった。細かい出生地までわかると、参照する自治体史が具体的になるなど、もう少し調査の幅が拡がる(自治体史に情報が掲載されているかは別の問題だが)。
現在改訂作業中の小林昌樹『調べる技術』(皓星社、2022年)に「として法」という項目がある。調べ方の技法として「AをA以外のBとして使う」という話なのだが、今回はさしずめ「出身地が書かれた随筆集を人名事典の材料として使う」ということになろうか。
○飯塚武雄(いいづか・たけお)
宝文館出版社長
明治37年(1904年)3月30日~没年不詳
【出生】群馬県邑楽郡館林町(館林市)
【経歴】大正8年宝文館に入社。同社専務を経て、昭和35年社長に就任したが、36年倒産。37年宝文館出版を設立して社長。44年退任、相談役に退いた。
【参考】『ふるさと随筆』全国出版協会出版部/1954、『出版社調査録(昭和44年版)』丸之内リサーチセンター/1969
○周防時雄(すおう・ときお)
明文堂社長 産業図書社長
明治35年(1902年)11月23日~没年不詳
【出生】東京市神田区美土代町(東京都千代田区)
【学歴】慶応義塾大学経済学部〔昭和2年〕卒
【経歴】明文堂創業者・周防初次郎の長男。父の没後、2代目として会社を継承。合資会社、株式会社に発展させた。昭和19年戦時の企業整備で明文堂が合流して誕生した産業図書の初代社長。戦後、再び明文堂社長。弟の周防次郎は大蔵技官専売局勤務で陸軍に応召、フィリピンで戦死した。
【参考】『ふるさと随筆』全国出版協会出版部/1954、『回顧五十年』藤井誠治郎遺稿回顧五十年刊行会【編】/1962、文化通信1947.6.9
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