皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

第6回 ひとりぶんの力と 、ぜんたい(しいねはるか)

 

ひとりぶんの力。ラッパーのECDが言っていた言葉。時々思い出す言葉。

先日いただいた本『本を贈る』(2018年、三輪舎) 。そのなかに《全体》という言葉があった。

ひとりぶんの力、ぜんたい。何かある度に思い浮かべる言葉。

 

一人一人が自分を切り離すことなく、自分にとっての意味を見出していく。それぞれに工夫しながら、のびのび生きる。そんな世界を想像しながら、少しずつ暮らしのなかに取り入れてきた。仕事をしたり、作品を作ったり、のんびりしたり。

そこから他者とのやりとりが生まれるとうれしい。自分にもできそう! やってみたい! と言われることも、うれしい。どんなひとと話しても、そのひとの視点や感覚はそのひとにしかないものだと感じる。そのひとにしか話せない言葉、のようなものがある。

わたしは時々、世の中に合わせたふるまいとしての言葉を自分の言葉のように話していることがある。どこかで聞いたような誰かの言葉を、自分の言葉のように用いてしまうこともある。それはほんとうに自分の言葉なのかな、と思う。

 

20代の頃に知り合ったバンド仲間のひとり、地下BOOKS小野寺伝助さんとライブハウスで立ち話。個人的に作っているZINEを渡した。2013年から書いているものの、世界で10人くらいしか知らないZINE、全14号。「もう14号もあるんすか!」と驚かれ、笑った記憶。

そのときに小野寺さんから「いつか、自分が出した本の売上を原資にして、自分以外の人の本も出したい。地下にうもれている人を地上に放ちたい」という話を聞いた。

すてきな話だと思っていた2ヶ月後、”うもれていた” わたしは本をつくる流れに。

小野寺さんがそのようなことをするのは初。装丁・組版を担当した井上洋子さんも初めての仕事。わたしも初執筆。

してみたいこと、できることは一人一人異なる。異なりを持ち寄り、わからないまま感じ、考え、いびつなままやりとりをしていく。

生活、婚活、終活、家族、行政、震災、介護、分断、ちいさなもの、対話。

テーマによっては書きづらいこともあったけれど、せかいのさまざま分の1として書いておくことにした。自分の話でありながら、せかいの誰かの話でもあるように書いてみたかった。

タイトルは『未知を放つ』。

 

 

あらためて考えると、すごい体験をしたなと思う。地下にうもれている人を地上に放ちたい方がいたこと。装丁、組版をしてみたい方がいたこと。たまたま、うもれていたこと。

画家の渡邉知樹さんに表紙の絵を描いていただいた。イニュニックという印刷会社で紙を選び、印刷をしていただいた。表紙の色もイラストも、自分一人では思いつかないようなアイディアが飛び出した。既存の概念が壊されるようなやりとりは面白い。

発売後は『未知を放つ』の感想を伝えてくれる方が現れた。体験を話してくれる方と、やりとりをすることがあった。ひつような場所へと届くように伝えてくれる方々も現れた。販売してくれる方々のあたたかさを感じた。

どのやりとりにも、そのひとにしか話せない言葉のようなものがあった。内側から元気になっていくやりとりをした。

この世に “自分にしかできないこと” は あるのかな? と考えていた時期がある。そのときはわからなかったけれど、今はこの人間を生きることがそれなのだろうと思う。

スイミーみたいなものかも。自分を薄めて小さくしていたら、そのひとを生きることを体験しきれない。

 

時々、パソコンやテレビの画面の光が眩しくて目がまわってしまうことがある。zoomの打ち合わせがある仕事は選べないだろう。

最近は駅構内にあるポスターが電子化されていて、眩しい。先月は池袋駅で目がまわってしりもちをついた。恥ずかしいような自信がないような気持ちになった。

そんなこともあって、我が家にはパソコンもテレビもラジオもない。自分が望んでその生活をしているのに「え、ないの?!」と言われると、ドキッとする。

体調を崩すことがおかしいと思われているのでは? と勝手に変な想像をしてしまい、またエネルギーを使う。自分を生きるエネルギーが薄まり、小さくなっていく。

先日地元の友人と話しているとき、テレビのメーカーの話になった。勇気を出して、ないことを打ち明けてみると「え、ないの?! テレビも? ラジオも?! それって・・・・・・」

黙り込む友人をみて、気を使わせてしまったのではないか、余計なことを言ってしまったのではないかと想像を膨らませた。

30秒くらい経ったあと、友人は「それって・・・・・・しいね、吉幾三じゃん!」と言った。

拍子抜けしていると、友人は「テレビもネェ、ラジオもネェ!」と歌った。

「歌詞でしょ」と笑うと「名前、思い出してスッキリした!」と笑っていた。

他者の言葉を変なふうに推測するようなことをやめようと思った。

ひとりぶんの力を出して生きる友人をみると、眩しいようなきもちになる。

 

2022年からThiiird Placeというバンドをしている。

メンバーは13人いる。バンドのわかりやすいところは楽器や役割に異なりがあること。捉え方や聴き方にも異なりがある。

どのひとも大切なのに、ここでも自分の存在を薄めてしまうことがある。

時々、わたしのマイクの音量を上げるメンバーがいる。急に自分の声が大きくなって慌てると「全員のハーモニーを感じられると楽しいんだよ」と笑う。

わたしは歌に関して、なんとなく自信がないような気持ちがあった。ハモりだし、そんなに大きくしなくても、と思っていた。

マイクの音量を上げたメンバーはいつも堂々と歌う。心を開いて自分の声で歌う気配、音が重なっていく気配が美しい。

その美しさに触れて、これからはわたしも自分の声で歌ってみようと思った。

一人一人の音に耳をすます。さまざまな音がある。わたしの声でうたう。重なりを感じる。

いまいちだと思っていたざらざらした声は、ぜんたいのなかのひとつになった。

メンバーはメンバーのまま参加している。わたしはわたしのまま重なっている。ざらざらした声も、なかなかいいような気がしてきた。ひとりぶんの力を出して、ハーモニーを感じる体験。

自分を薄めて小さくしていたら、そのひとを生きることを体験しきれない。ひとりぶんの力とぜんたいを感じる出来事だった。

 

自分を薄めることにエネルギーを使わず、ただのわたしのまま存在している場面は心地よい。それから、たいせつにしたい価値観のようなものをたいせつにしているときも心地よい。

そんな人が作った曲を聴いてみたいし、そんな人が書いた言葉を読んでみたい。

人は関わり合いながら生きていく、という言葉が腑におちつつある今、どうありたいか? どう生きるか? が問われているような気がする。

これから先も、前例のないことに出会うだろう。どんなときも、生きてみたいせかいを育てるように暮らしていけるといい。今を育てたその先に、どんなぜんたいが現れるだろう。

 


しいねはるか(しいね・はるか)

1981年3月うまれ。音楽活動を行う傍ら、一人一人の物語を紡いだZINE 『tonarinogofuzine』の刊行を継続中。
どんな人も心地よく、ほっとしながら生きていくにはどうしたらいいのだろう? わからないまま感じ、考え、いびつなままやりとりをしていくことに興味がある。
2021年地下BOOKSより『未知を放つ』を刊行。

 

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