皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

第3回 71年前の友人(文藝誌「園」主宰 河村実月さん)

 

向島から淡いピンク色に滲んだ空が尾道大橋へ、そしてこちら側の山まで広がっている。空は次第に色を濃くし、朝日が山の隙間から覗いて昇っていくまでは一瞬で、暗い部屋にあったはずの炬燵の上のみかんも今では朝日のような色をすっかり取り戻している。

1月の中旬、冬の尾道に来て3日が経った。尾道へ来るのは初めてのこと。何度も映画の中で繰り返し出会ってきた町だ。そんな町で書き手向けに一週間の滞在制作プログラムがあるということを知り、すぐに応募した。

尾道は小津安二郎監督の『東京物語』(1953)に代表されるように多くの小説や映画に残されている。特に私が大好きな大林宣彦映画監督は尾道の出身で、15歳当時『東京物語』の撮影現場を見学したのだそう。その後旧・新尾道3部作など尾道を舞台に映画を撮り続けた。大林監督作品のなかでも『ふたり』(1991)は何度も繰り返し観た映画で、その度に尾道への思いは募るのだった。

そして尾道には主宰している文藝誌『園』を快く扱ってくれた古本屋弐拾dBがある。店主の藤井さんとは時折メッセージのやりとりをしていたので、いつか必ず会いに行きたいと思っていた。

 

今回参加したライターズインレジデンスはゲストハウスのみはらし亭が主催している。プロアマやジャンルも問わず、幅広く募集していることもありがたいことだった。千光寺近くに位置し、名前の如く尾道の町を一望することが出来る。この部屋の窓からは船、車、バス、自転車、バイク、電車、ロープウェー、飛行機と8種類もの乗り物が見える。尾道水道を船が進み、貨物電車が家々の間をすり抜けていく。それらを悠々と見守る山と海と空。どこを切り取ってもうつくしく、映画のなかの世界がそのまま残った町並みだ。

初日は駅についてすぐに大林監督の出身校で『転校生』(1982)にも出てくる土堂小学校へ。そして近くにあるという『ふたり』の登場人物である実加が電柱の脇を越える通りへ行った。予めネット上で調べていたものの詳しい住所などは載っておらず、学校からすぐのはずがいくら探しても見つからない。大きなリュックを背負って階段を登り降りするのはなかなかのもの。初っ端から港町の洗礼を受けるが、懲りない性格なので諦めずに探し続け、ようやく見つける。主役の実加がひょいと越えていた場所は思いのほか軽々と越えられるようなところではなかったけれど、町の特性を生かしながら登場人物の性質をも表す大林監督の手腕に改めて感服する。気がつけば汗もたっぷりかいてたので、ロケ地巡りの続きは後にして一度チェックインすることに。ジグザグと階段を昇っては休み、なんとか宿までたどり着いた。

宿泊する宿は空家再生プロジェクトの一環で改修された建物だ。斜面地ゆえ屋根の瓦一つとっても想像以上に容易ではなく、町の人や県外ボランティアなど多くの人の手によって時間をかけて修復されたものなのだそう。直すことでさらに元の良さが引き立つのだという空家再生プロジェクト主催の方の言葉に、この町の建物たちに対する敬意を感じた。その他尾道らしい景観を守りながら古い家に暮らしてみたいという方と空き家をどうにかしたいと願う大家さんとをマッチングさせ、高齢化と廃屋化の進む町に定住してくれる移住者を広く募集しているのだそう。改修だけでなく、次世代のコミュニティも構築していくことは、尾道の町並みを後世に引き継ぐためにもとても重要な試みの一つだ。

 

滞在中、原稿執筆の合間に町へ出て過ごした。石段を降りて商店街へ。弐拾dBへ行く。普段は深夜帯に営業しているが、休日に限っては昼間も営業しているとのことだった。商店街から少し奥まったところにあるお店へ入ると銭湯の番台のような場所に店主の藤井さんは座っていた。本来は診療所だった建物で、所狭しと本が並ぶ。宝探しのように夢中になって本を手に取っていると店主と町の方との会話が聞こえて来た。年齢差を縮めていくようなふたりの広島弁が心地良く、いつまでも聞いていたくなってしまう。盗み聞きもほどほどにして、宝の山から見つけ出した本の会計をしながら藤井さんと世間話をした後で、以前SNSに載せていて気になっていた詩誌のことを聞く。するとレジ裏の棚から取り出し特別に見せていただくことに。

想像していたよりもずっと小ぶりで手になじむ。その小さな詩誌『ポトナム』は広島にあった詩話会の3人組が作ったものらしい。1951年に発行され、第1号と書かれているがその3人は何者なのか、本名なのか、第2号と続いたのか詳しいことは何もわからないのだそう。表紙をめくると小さく手書きの文字がある。切実さと強い意志が込められた字だ。

 

 

私たちの詩は貧しい/しかし/それは/私たちの/生命であり/灯である

 

それからは夢中で冊子のなかの詩の世界に入り込んでいた。小さな詩誌に漂う詩情、会ったこともない人の筆跡に思わず胸が熱くなる。冊子から目を離して正面に目をやると花瓶には水仙が身を寄せ合っていた。この3人はそれぞれの詩を持ち寄り、どんなふうにこの詩誌をつくっていったのだろう。どんな出会いをしてどんな意見を交わしたのだろうか。後記にはこう綴られている。

 

詩は、偉い人間にはなかなか作れない。/詩は、少し抜けた人間が作るものらしい。そしてその抜けたところがいいのだと思う。/大したものは出来なくとも、書いていれば何とかなるよと先輩にはげまされて始めたのだが——/私達には、いわゆるうまい詩は書けない。しかし、子供っぽい気取りから、とかくハッタリとなる傾きがある。それをお互に牽制し合うつもりで作ったのが「まきば詩話会」である。色々な意味でこの小さな集りが、私達の高校生活をうるおしてくれるだろう。/共通した希望が私達をずっと長く結びつけてくれると信じている。(M・M・記)

 

私も詩を書くのだが、私の詩もいつもどこか間抜けで、決してかっこいいものではない。けれどもそんな詩を気に入り、正直で気取らない詩を書き続けていこうと思ってやってきた。詩を書くものとしてどこか共感するところがあり、高校生の3人組、若き詩人たちにそれでいいのだと励まされたような気持ちになる。

そして主宰をしている文藝誌『園』は『ポトナム』と同じように3人で始めたものだ。本づくりの知識もない中、ただ本をつくりたいという一心で、様々な方に話を聞きに行き、勉強会や意見交換を何度もして制作していった。歩みとしてはたどたどしいものであったが、一つの共通の目標に向かって3人で集まり、本づくりに取り組んできた時間はその後の私の個人的な制作にも活きていると思う。

ポケットに入るサイズの冊子であることや、小さな声を集めた冊子であるという点でも『ポトナム』にはどこか親近感を抱いてしまう。『ポトナム』の創刊から71年経った今、尾道に来てこの3人の詩の世界や思いに触れることができることの尊さ、届いていますよとどこに伝えればいいやら当てどもない気持ちでいっぱいになってしまった。

すると藤井さんが店の外から戻って来た。詩誌を読んでいる間、藤井さんは一服しに出かけ一度戻ったものの、今度は店の前に干していた布団を仕舞いに出かけていた。詩を気兼ねなく読めるよう配慮してくれたのではないかと、そういうさり気ない気遣いにもまた胸が熱くなる。藤井さんは私が作ろうとしている詩誌についての話もまっすぐな目で真摯に聞いてくださった。改めて信頼できる方だなと感じ、ご厚意に感謝して店を出る。

 

この町へ来てよかった。近年どこも平均化され、似たような街並みになってしまっているなかで、町の良さを引き継いでいく人たちがいる。いつか去る者にもどこまでも親切にしてくれる人たちがいることを知った。そういう人がこの町にいるのだと知っているだけで、どれだけ励まされることだろう。

そして本や映画は時代を越えてそのまなざしを伝え、ときには同志との出会いさえ与えてくれるということを再確認させてくれた。まだ会ったこともない友人に、誰かに出会うために詩を書き本を作り続けていこうと、暗唱した詩を反芻しながら71年前にここに居た友人に誓い、石段を駆け登った。

 


河村実月(かわむら・みづき)

1991年生まれ。仙台市出身。文藝誌「」主宰。zineの制作やエッセイ・コラムなどの寄稿を行う。王子神谷に展示・イベントスペース「居間」をひらき、現在はあたらしい場所をつくるべく準備中。

 

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