第4回 西洋人だからこそわかるナウでモダーンな「清朝考証学」――『哲学から文献学へ–後期帝政中国における社会と知の変動』(B.A. エルマン著)
■B.A. エルマン『哲学から文献学へ–後期帝政中国における社会と知の変動』馬淵昌也・林文孝・本間次彦・吉田純訳、知泉書館、二〇一四年十月
読了 2015/3/14
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巻頭初ページ裏に記す原書名の副題「Intellectual and Social Aspekts of … 」(斜体)はAspectsをドイツ語風に誤植したか。
原書一九八四年初版、補訂した二〇〇一年新版が底本。第二章は二版より新たに挿入せるものにて(「新版への序文」xxix)、哲学的註釈から文献学的批判へといふ学風変移の具体例として古文尚書「大禹謨」辨偽問題が閻若璩によって偽作説が定論とされる迄の研究史を継述する特論である(閻『尚書古文疏証』を再審した中島敏夫(#)等の近人は検討外なのはまだしも、野村茂夫「疑「偽古文尚書」考(上)」「仝(中)」(##)も参照されない)。それ以外は通論で、「レベルの高い教科書として最適な、専門性と一般性のあわいに位置するもの」(馬淵昌也「訳者解説」p.345)。既知のことが多い読者が頭から読まうとするとだれるかも。
#「《尚書》〈大禹謨〉「人心」十六字偽作説について(1)~(
##『愛知教育大学研究報告 人文科学』34・37輯、一九八五・一九八八年:http://hdl.handle.net/10424/3424
本文に入るまでの前附けが厚い。「日本語版への序文」(ix-xxi)「溝口雄三教授に敬意を表して」「新版への序文」(xxiv-xli)「謝辞」「序言」(N・セビン、xliv-li)「序文」「注記」、以上lix(59)ページに及ぶ。だのに索引の採録範囲に入れぬのは不便。巻末「訳者解説」(pp.327-352)も長く、中で邦文専著八冊を挙げて解題した上で「『清代学術概論』を読んだら次に本書を読むとよいと思うのである。[……]それから上に触れた諸著書、或いはそれ以外の専門的著作・論文に進むのがよいであろう」(p.346)と推す。
概説以上に出た本書の特色としては、次の点が目立った。一つは、イエズス会士を介した西洋科学(ニュートン以前の旧式ではあるが)の影響が天文学・数学に留まらず人文学的領域にまで波及したとするところ(第三章pp.130-131)。「序言」を貰ったネイザン・セビン(Nathan Sivin)の論(第六章pp.240-241)に基づくやうだ。新刊の川原秀城編『西学東漸と東アジア』第5〜7章(岩波書店、二〇一五年二月)も見解を同じくするから近年通説となりつつあるか。「数量化可能な資料の収集と検討を通しての「理」の経験論的帰納を重視すること」(p.237)――さてこそ考證学の訳語は「evidential research」(「新版への序文」xxxix)なれ。二つは、「社会史」(「序言」xlix)と言ふか教育史と云ふか、思想史が通例重心を置く内在的要因とは別にトマス・クーン謂ふ所の「外的歴史」(p.7)である制度的環境にも目を配り、「学問的共同体」(「新版への序文」xxvii)乃至「学術共同体」から考證学の支持基盤を考察する視角。特に第四章、学術後援(共同編纂事業、幕友)や江南における研究機関としての書院に学者グループの生態を捉へてゐる。ただ、章学誠も例に出てくるが、山口久和が描いた不遇困窮ぶり(「近代の予兆と挫折――清代中期一知識人の思想と行動――」#
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https://www.lit.osaka-cu.ac.
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巻頭「注記」の「五」に曰く。「
「第五章・第六章は吉田純氏及び林文孝氏が原訳を担当した」(「訳者解説」p.352)。共訳者中、『清朝考証学の群像』の著者でもある吉田純には原著“From Philosophy to Philology”初版につき書評論文あり(『中国――社会と文化』第五号、一九九〇年#####)。その紹介では「第五章 学問・図書館・書籍出版」は「学問、文庫、書籍づくり」と訳されてゐた。前近代にては「図書館」より「文庫」が適訳なるべし、library必ずしも図書館に非ざれば。第五章中「江南の印刷」の節に小見出しが立ってゐる「叢書の役割」、この「叢書」もlibraryの訳語になることがある。〈レクラム百科文庫〉
第三章、考證学が日本へ移入され重野安繹らのランケ史学受容の基盤となったことを記し(p.121)、注69)を附して曰く、「私は,2000-2001年度にプリンストン大学のSchool of Historical Studies, Institute for Advanced Studyで清朝考証学が朝鮮及び日本に及ぼした影響について講じたが,このテーマについてのより広範な研究を完成できればと考えている。」(巻末横組p.42)――また第六章「プライオリティ論争」の節末で戴震『孟子字義疏證』と伊藤仁斎『語孟字義』の酷似を述べて(p.291)その注99)に「筆者は将来より詳細な研究を行おうと考えている」(巻末p.64)と言ふ。……気を持たせやがって。はよ書きなはれ。「前近代期の中国、朝鮮、日本三国の、書籍と知識の国際的なやりとりにみられるものは、ある程度まで、欧米列強の進出以前における、東アジアの考証学者たちの共同体の発生であるといえる」(第五章p.215)。
p.33「チャールズ・ガレスピー」、ギリスピーと表記するのが普通なGillispieを変な読み方にしたのは何故だ。
エルマン/濱口富士雄訳「閻若璩の宋明儒学に存する依存」(斯文会『斯文』八十二号、一九七九年三月)も読む。第二章の原型と言ってよいが、論文にしては短くレポート程度、取るに足らず。
「而して哲学なりしもの、いまや文献学となれり。 itaque quae philosophia fuit, facta philologia est. 」(セネカ、ルキリウス宛第百八書翰第廿三節)
http://www.intratext.com/IXT/LAT0230/_P30.HTM
森洋介
1971年東京生まれだが、転勤族の子で故郷無し。大学卒業後、2000年まで4年間ほど出版編集勤務も(皓星社含む)。2004年より大学院で日本近代文学(評論・随筆・雑文)を専攻、研究職には就かず。趣味は古本漁り。関心事は、書誌学+思想史(広義の)、特に日本近代で――それと言葉。業績一覧はリサーチマップ参照(https://researchmap.jp/bookish)。ウェブ・サイトは「【書庫】或いは、集藏體 archive」。
■書物蔵からひと言
英米こそが正しい(?)図書館情報学を学んだ際に想ったのは、東洋にも近代学問の萌芽があったのではないか、中国日本に図書館学、書誌学はなかったのかしら?ということであった。
どうやら「考証学」が、なんか近代学問っぽいものだったらしいと気づいて、本を読めばわかるかしら、と思ったが、気づいた当時、木下鉄矢『「清朝考証学」とその時代―清代の思想』1冊ぐらいしかなく、読んだが分からんかった。それが近年、清朝考証学についての立派な本がいくつか出て、その中の一冊がこの、米国の東洋学者、ベンジャミン・エルマンの本というわけである。
日本人が東洋学をやると、漢語を漢語のまま使っちゃうから、あまり相対化されず、なおかつ現代一般人に分かる概念語で説明してくれない傾向があるように思う。一方で西洋人がやると、そうでないので、ある種の分かりやすさが発生しやすく、こういった本には期待しちゃうのである。
森さん書評を読むと、清朝考証学は「古典の知恵に学びたい(philo-sophy:知恵を愛すること)」から「テキスト自体の研究(philo-logy:言葉・ロジックを愛すること)」という発展をしたもののように見える。
森さん書評でオモシロなのは、やはり書物史や読書史にひきつけて読んでいる部分。原著がおそらくライブラリーとしているものに訳者が「図書館」とあてているのを取り出して、前近代なんだから「文庫」のほうが日本語訳として良いのではと突っ込みを入れている。 図書館史研究者には知られているように「図書館」は明治20年代に使われるようになった日本製の新漢語で、清朝のインテリや役人を通して現代中国語にそのまま入ったもの(小黒浩司『図書館をめぐる日中の近代:友好と対立のはざまで』青弓社, 2016)。清朝での学問の話だから、これまた日本漢語――でもほんとは「ふみくら」という和語の江戸期漢語化――の「文庫」を訳語にしたほうが、いまの日本人に(近代)図書館でない似たもの、とにおわせられよう、という指摘。まぁ前近代中国には「蔵書楼」という言葉があったんだけどね。
だけど日本でもライブラリーの訳語はいったん新漢語「書籍館」に落ち着いたのに、明治10年代に「図書館」などという珍奇な新漢語をつくって、それに切り替わったというのは、一般には知られてないからねぇ……。珍奇な新漢語が明治10年代になぜできたか、という理由が明らかになったのも、なんと2019年のことだしね(鈴木宏宗「明治10年代「図書館」は「書籍館」に何故取って代ったか:「図書」の語誌に見る意味変化と東京図書館における「館種」概念の芽生え」『文献継承』34号)。
一言に後から一言:森さんは「文庫」を、江戸期和製漢語をにおわす、というより、むしろ「電撃文庫」(KADOKAWA)みたいなパブリッシャーズ・シリーズの意味もありますよ、とにおわせたかったとのこと(直話)。
友人代表・書物蔵識
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