第14回 天才魔術師と同じ魔法が使えるようになるために――「当たり前」を超えて
小林昌樹(図書館情報学研究者)
■そんなの当たり前
前回、NDLサイトに秘蔵された「調べ方案内」を見つけるには、NDLがHP上に用意した独自分類を下りていって見つけたりせず、単にGoogleから直接「トピック語+調べ方」で引けばよい、と書いたところ、ネットで、そんなの当たり前とのご指摘をいただいた。おやおや、まさにその通り、でも、そのツッコミは短慮だよ……。
そんなの当たり前、しかし、その当たり前をどこまで意識化し言語化できるかが、本連載のそもそもの意義だったなぁと改めて気づいたことだった。
いままでの連載内容はすべて、ベテラン司書にかかれば、そんなの当たり前。かつて調べ物のベテランたちが当たり前に行っていたことを、大きなことから小さなことまで技法として言語化し、彼らに頼れない/頼らないなかで調べ物をするこれからの人たち――特に司書でない人たち――に公開する、というのが連載の趣旨だった。
■技法やら予備知識やら、知っているべきことにも大きさがある
いま「大きなことから小さなことまで」と言ったが、これまで1年以上にわたり、参照技法(レファレンス・チップス)をいろいろ連載してきたけれど、大きな話が思いのほか多くなってしまった。例えば連載第1回「現に今、使えるネット情報源の置き場所――人文リンク集のこと」だが、これを知っていることは、技法というよりも、その前段階の予備知識といえよう。でも、どこにも書いてないのでしょうがない。でも、ベテラン司書には当たり前。
そして、Googleなんて当たり前、というのも、なにがどうしてGoogleが当たり前になったのか、ちゃんと説明できる人はそうそういないのではなかろうか。
■Google様ならではの役割とは?
娯楽は知らんが、やや学術的な調べ物でGoogleが普及したのは、それ以前の世界だと、a. ベテラン司書 b. 専門データベース c. レファレンス図書といったものにセットでアクセスできないと出てこないような答えが、Googleだけでそこそこ出るようになったからである。そんな新しい状況が日本で成立したのは2006年ごろのことだったが、これにはもちろん引用分析で重み付けをしたGoogleならではの表示順序や、それが引っ張ってくる中身、つまり、個人ブログや大学リポジトリの発達などがあった(第7回で紹介した答えから引く法は、ブログ全盛期以降でこそ初めて有効になった)。
一方で、Google万能の昨今でも、なぜ専門DBがみな滅びてしまわないのだろう、なぜレファ本が未だに出版されるのだろう、と逆に考えると、Google固有の役割が見えてくるような気がする。
■アタリ(見当)をつける
Googleのない世界で調べ物をする際、ベテランのレファレンサー(レファレンス司書)が一等最初にやっていたことは、ココロのなかで質問事項のアタリをつけることだった。質問者にインタビューしながら、いつ頃のどこの話でどの程度有名/無名なことなのか、という調べる事柄の重みや現在からの遠さを、半ば無意識的に測っていたのである。見当をつけていたと言っても良いだろう。そしてベテランは「日本語ドキュバースの三区分」を当たり前として体で憶えているので、それを前提に調べにとりかかるのである【表1】。
・表1 日本語ドキュバースの三区分
つまり「見当づけ」をして、レファレンサーはおもむろに専門DBや専門事典を引きにかかったのであった。だから昔のある職人的レファレンサーは「新聞の全ページを広告も含めて右上から左下まで全部読む」ということを毎朝やっていた(もちろん職業として)。汎用性のあるテキストをジャンル横断的に全部読む、というのはまさに、Googleがやっていることと質的に似た構造の行いである(量的にはもちろん及ばないが)。新聞記事の汎用性は、現在のレファレンス・チップスの一つに、新聞DBを百科事典がわりに引くというものもあるくらいだ。
■司書の知らないことに答えるのがレファレンス・サービス
もちろん、質問事柄のアタリがつけばいいので、その事柄自体を司書が事前に知っておく必要はない。実際問題として、私は15年間ほどレファレンス・カウンターに出たが、実際に訊かれた質問の99%は私の知らないことだった。それでも自分は割合とうまく答えられたほうだとは思う。今にして思うとこれには、他のまじめな職員になかった自分の雑学好き、古本好きがプラスになっている。アタリをつけられるからである。専門性にこだわりすぎる人がレファレンサーとして伸びないことがあるのは、専門外のことに興味を持とうとしないからである。
だから、調べる人に雑学や教養――正確には好奇心かも――があれば、レファ司書がいなくともレファ本さえあればなんでもわかる(はず)。つまり、雑学家や在野研究者――それは職業的には翻訳家、校正者、編集者などが多かろう――ならば司書に頼らずとも、人文系なら2万冊ほどのレファ本さえあれば、なんでもわかるのだ。
そして、今、我々の前にはベテラン司書に近似するGoogleというものが司書よろしく無課金で利用できる状態で待機してくれている。
■Googleがやってくれないこと
要するに、ベテラン司書がやってくれていたアタリをつける作業はGoogleがやってくれるようになったわけだが、実はベテランは、その先の、専門的ツールをどのような順番に引くか、どのような組み合わせで引くか、といった一連の動作も、無意識的に行っていたのだった。
この世にどのようなツール(専門DBやレファ本)があるかといった知識――解題書誌的な知識――も、当然、ベテランの知識にあり、それらはかつてなら『日本の参考図書』といった本、現在なら「人文リンク集」といったHPに書き出されていたわけである【表2】。けれども質問に応じてツールを使う順番――それは検索戦略と連動する――や、定番のセットで使う用法といった知識は、一部が「調べ方案内」に書かれることはあるが、ほとんど書かれてこなかった。そしてそれらツールを使っている最中に無意識的に行われる細かなチップスも。
・表2 レファレンス・ツールのリスト
すべてベテランには当たり前だったから。
■まだあるチップス
今回、最終回なので、まだ書いていないチップスを書き出してみたら、40個以上あることに気づいた。おそらくまだあるだろう。
・悉皆リストで仮定法:例えば、ある地方の武士全員のリストに出ないので、農工商系でないかなという前提で調べる
・対概念で拡張法:キーワードを膨らませる際に適宜、対概念を設定する
・同時に出るもの探索法:出づらいものを、一緒に出現する(はずの)出やすいものに求める
・要素掛け合わせ法:明治維新の立役者、木戸・西郷・伊藤……を引くと「明治の元勲」のリストが出てくる(はず)
・数値キーワード法:出典不明の統計の出所を、ゲットした数値からたどる
・勝手に形態素分析法:長い固有名でノーヒットの場合、単語間にスペースを入れて再検索すると意外と出る
・「月号」の話:表紙「月号」と実際刊行月のズレに注意する
などなど。どれも当たり前のことだが、これだけでは分からない人がいるかもしれない。だからこそ書き出して定義する必要があるのだ。
■類書ないし先行文献について
いままで情報検索法や文献探索法の本というと、基本的にさまざまなツールを主題なりなんなりでグループ化したツールの解説集であった。なぜそのツールを使うのか、その理由やツールを使う順番などの話を書いた本はほとんどなかったように思う。質問を受けた/疑問が浮かんだ場合、どう考えればよいのかといったこともほとんど書かれていない。
ただ一つ例外があって、浅野高史、かながわレファレンス探検隊『図書館のプロが教える〈調べるコツ〉:誰でも使えるレファレンス・サービス事例集』(柏書房、2006)という本が、今回の連載にいちばん近いコンセプトの本ですでにあるのだが、読んでみるとかなり違うものに感じられる。どう違うか考えてみると……。
■技法の名付けの問題
親しみやすくしようと、事案が全部セリフ入りのお話になっているので、ステップごとの要約的な名付けがなされない。例えば「線香花火を自作したい」という質問に、OPACでNDCで5類(工学)の本を参照したが出ず、ネットで個人HPを見て、4類(科学)の本に載っている可能性を考える、という話がある(p.142-145)。そして末尾に「格言:押してもダメなら引いてみる」が示される。
やっていること自体は問題なく、格言なるものを設定するのもむしろいいことと思うのだが、私ならこの事案から「4類5類対照法」とか「5類でダメなら4類に」といった技法名や格言を引き出すだろう。
トルコ石の下位語を調べる事案(p.152-158)では、本とネットで6種類の下位語が見つかるのだが、「格言:わらしべライブラリアン」となっている。これはキーワードを検索してヒットした先から増やしていく/置き換えていく技法で、私も「わらしべ長者法」などと呼んでいるのだが、論理的には「キーワードわらしべ長者法」とか「わらしべキーワード法」「キーワード置き換え法」などと、何をわらしべ長者風に置き換えていくのか技法名ないし格言に入れたほうがよいと思う。
なんというか、やっているレベルでそのまま論理に変換すべきところを(第11回 レファ協DBの読み方――事案を事例として読み替える)、お話や、上位レベルの一般的格言や文学的表現に変換してしまって、技法の特定的な(他にもあてはまることでなく、それ専用の)名付けに失敗している感じがする。
全体が基本、キーワードをNDCに変換してNDC順配列の一般図書コレクションを参照しながら調べを進める、というコンセプトも、これはこの本の基本コンセプトだからまったく正しいのだが、なるべくネットで済ませたい当節コロナ禍の我々とニーズがズレてきている。件名標目をまったく使っていないのは、これは日本の場合やむを得ないのだろうが(第3回 見たことも、聞いたこともない本を見つけるワザを参照)。
■呪文の詠唱
ベテラン司書の当たり前を、意識化し言語化するのが本連載の本来の目的であるが、この言語化には、技法の名付けも入れたい。とくに名付けは前述のごとくとても重要だと思う。
独学技法を総覧する本『独学大全』で一世を風靡した読書猿さんが、担当編集者の田中れいこさんにこんな話をしたそうな。
魔法をつくる要素の半分くらいは、現象や技に名前を付けることなんです。名前をつけると、自在に呼び出せるようになる。独学大全はそういう本なんです。
『独学大全』とは何かについて、読書猿さんがさらっとDMに書いてくれたことが本質すぎるのでシェアします。 pic.twitter.com/evJwp3cYkI
— 田中れいこ(書籍編集) (@tanacurrychan) April 23, 2021
実はレファレンス・チップスも、“剣と魔法”の世界での、呪文の詠唱に近い。実行すべき一連の動作が、特定のタイトルのもとに思い出されて、なかば自動的に作業できるようになる。というか、呪文から、実際にやることリストが思い出せるように呪文(技法名)を考えなければならないということだろう。
■天才魔術師と凡才魔術師と
天才魔術師は、口で詠唱せずともココロに思うだけで魔法を使えるという(ホント?)。センスのあるレファ司書やエクセレントな研究者も、誰からも教わることなく、いろいろな技法を不言実行してきた。実際、メディア史の佐藤卓己先生などが『天下無敵のメディア人間:喧嘩ジャーナリスト・野依秀市』(新潮社、2012)で、いともたやすく、極めて自然に内務省『出版警察報』から秘密だった発行部数を抜いてきていて、びっくりしたことだった。というのも、その前年、長年の探求の末に『雑誌新聞発行部数事典:昭和戦前期』なるレファ本を同じ情報源から作ったのは私だからである。
ツールがなかろうが、参照技法が書かれていなかろうが、エクセレントな人は行いうることは行いうるのである。しかし、ツールがあったり、技法が書き出されていれば、ふつうの人でもだいたい同じことができるでしょう?
我々はみな必ずしも天才ではないだろう。しかし、魔法学校でちゃんと魔法を習い、時に応じて詠唱すれば、そこそこの魔法が使えるはずなのだ。
■予告――この連載が本になります
近いうちに全14回の連載が本になります。連載の順番を改め、ちょっとしたチップスや予備知識を全体にまぶすようにしますが、なるべく厚くはしないつもり。ネット情報源が数ヶ月から数年単位で代わり――最近でも、CiNii ArticleがCiNii Researchになったり、聞蔵が朝日クロスサーチになったりめまぐるしい――あまり重厚なものを作ってもしょうがないからです。
ただ、いままでに説明されていなかった種類のノウハウが書かれている初めての本ではないかと思います。学問的な検討などもなされていませんが、その分、面白いかもしれません。
自分はベテラン・レファレンサー達が消えた直後にその部門に行ったのが、これがかえって良かったのだと思います。見様見真似で参照作業ができるようになっていたら、とても意識化/言語化できなかったでしょう。自然にできるようになったことは、説明できないですからね。
どれもこれも自分が一昨年までの現役レファレンサーだった時にはふつうにやっていたことで、ある種、当たり前のことですが、どうも一般に知られていないことが多いらしく、今回の連載になりました。調べ物をする人たち、独学者、在野研究者に広まるとよいなぁ……。
探しても探しても出てこない……。ここはひとつ「同時に出るもの探索法」を使うかぁ。→出た〜! というのが最も望ましいです(自分はこれで、立ち読み史文献を見つけました*)。
* 小林昌樹「「立ち読み」の歴史:それは明治二十年代日本の「雑誌屋」で始まった」『近代出版研究』(1) p.44-87, (2022.4)
小林昌樹(図書館情報学研究者)
1967年東京生まれ。1992年国立国会図書館入館。2005年からレファレンス業務。2021年に退官し慶應義塾大学文学部講師。専門はレファレンス論のほか、図書館史、出版史、読書史。共著に『公共図書館の冒険』(みすず書房)ほかがあり、『レファレンスと図書館』(皓星社)には大串夏身氏との対談を収める。詳しくはリサーチマップ(https://researchmap.jp/shomotsu/)を参照のこと。
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