神保町のんしゃら日記 〜出張!あめりか編 〜
晴山生菜(皓星社)
「神保町のんしゃら日記」なる変なタイトルの文章は私が『歌誌月光』(福島泰樹主催「月光の会」の結社誌)に執筆している日記連載です。まもなく発売になる78号では「あめりか漫遊編」として、今年3月のアメリカ出張記録を書きました。本稿は「月光」の内容と一部重複しますが、紙幅の都合上書ききれなかったことや写真も含めた拡大版になっています。お楽しみいただけたら、ぜひ「月光」の今後の連載もお読みください。
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2023年3月12日(日)今日からアメリカ出張、ボストンへ。雑誌記事索引データベース「ざっさくプラス」の営業活動の一環で、ボストンで開催される幾つかの学会に参加する。初めての本格的な海外渡航である。
朝8時に羽田空港に着き、JALでWi-Fiをレンタル。丸善雄松堂のSさん、Tさんと合流して搭乗手続きをする。ところが、土壇場でESTA(アメリカの短期滞在用ビザ、72時間前までに申請が必要)の承認が降りていないことがわかった。確かに承認が下りたというメールがあったのだけれど……とプリントを見せると、これは正規の申請サイトではなく、承認は降りていないという。兎に角急いで再申請したが、悲しい哉、ギリギリで間に合わずに渡航できなかった。さいわい明日の早い便に乗ればほとんど行程に支障をきたさずに済むことがわかった。しかし出鼻をくじかれてしょんぼり帰宅。これからアメリカに行かれる方、くれぐれもご注意を……。
※雑誌記事索引データベース「ざっさくプラス」は現在、無償公開中です!ぜひご活用のほど。
13日(月)気を取り直して飛行機に乗る。今度は大丈夫。空港を成田空港に変えて、10時の飛行機に乗った。これから12時間のフライト、ちゃんと寝られるか? 離陸して1時間で一度目の機内食でオムライスを食べる。食後は白ワイン(アルコールも選べる)を飲みながら外を眺めたり、ソローの『ウォールデン 森の生活』上巻(今泉吉晴訳、小学館文庫)を読んでいるうちに、うとうとしてくる。昨日は帰ってふて寝(昼寝)をし、さらに夜ふかしをして早朝に家を出たので、眠い。寝る→読む→寝る を何回か繰り返すと、意外とあっという間にニューヨークに着いてしまった。寝不足で臨んで正解だったかもしれない。
到着日時が出発日時とほぼ同じ、というのはなんだか変な感じだ。心配していた入国審査も問題なく通ることができた。Maruzen InternationalのKさんが迎えに来てくれ、アムトラックという電車に乗ってボストンに向かう。アムトラックは銀色の車体にブルーのラインが入った長距離鉄道で、格好いい。程よく古く、車内にうるさい広告の類が一切ないのも良い。移動の前に食べたアメリカ最初の食事はハンバーガーで、具材の好き嫌いがないか(ないので全部のせ)、肉の焼き加減はどうか(ミディアムレア)、など細かく聞かれ、下の名前まで聞かれるので驚いた。パテが肉厚でとても美味しい。ただし値段も高い。両替時のレートが136円で、飲み物とハンバーガーで13ドル。ランチで2000円近くかかるとは……。
アムトラックがボストンに着くともう18時だ。ホテルにチェックインして、Sさん、Tさんと合流して平謝り。ご心配おかけしました。まずは部屋に荷物を置こう……と部屋に入るとぷんとトマトソースの匂いがして、黒人男性が食事していた。内装工事中の部屋に誤って案内されたらしい。フロントに戻って改めて部屋のカードキーをもらう。やれやれ、ようやく部屋に入れた。気を取り直して皆さんと夕食に行き、青島ビールを飲んで、中華料理を食べる。さあ、明日から頑張ろう。寝てばっかりいるようだけれど、夜も布団に入るなりすぐにぐっすり寝てしまう。
アムトラック。景色を楽しむつもりがあっという間に寝落ちしてしまった。
14日(火)今日からはじまるHTT(Harvard Tool of Trade)は今回初めて開かれた国際会議。東アジアの人文情報学に関する発表で構成されている。日本資料を扱う多くのライブラリアンの方々と面識を得る。皆さん、皓星社について共通しておっしゃるのは、「ざっさくプラスは色々な他社のDBと積極的に連携しているし、連携のオーダーにも対応してもらえるので本当に助かる」ということ、それからメルマガ連載の「レファレンス・チップス」やそれを単行本化した『調べる技術』もよく読んでいただいているということ。特に『調べる技術』は著者と皓星社のメンバー全あ員で取り組んだ仕事なので、ことのほか誇らしく思われる。
午前中の前半は、各国(アメリカ、台湾、韓国、中国、ベトナム、日本)の代表者による発表。日本の発表者は国会図書館の大沼太兵衛さん。発表は全て英語で、私は英語力ゼロなので、スライドを見ながら翻訳ツールを使っても「大体こういう話」というくらいのことしか分からない。多少でもリスニングができればもう少し楽しめるはずなのに、惜しい。後半は教室を変えて各国ごとの発表で、日本はNDL-OCRのより詳しい話。参加者からは、NDLの個人送信を、早く海外でも使えるようにしてほしいとの声があった。資料をデジタル化することの利点は、地理的なハンデや時間的なハンデをなくせることだ。この制限ははやく無くなって欲しい。ところで、ハーバード大に授乳室が設置されているのには驚いた。日本の大学はどうだろうか。
表は雪。午後は空いた時間でボストン公共図書館、posman book(独立系の書店)、景観の美しいビーコンヒルストリートを見る。ボストン公共図書館は、日本のそこそこの県立図書館よりも大きい。西洋圏は建物の大きさの規模が違うなあ。地震大国ではこのようなことはできないだろう。そこここで居眠りをしている人や、お弁当を食べていも人がいる。この中には家のない人もいるのだろうか。ホームレス問題もあると思うけれど、私は図書館で居眠りしている人がいてもいいと思う。福祉の側面が図書館にあってもいいではないか。驚いたのは、本を延滞すると罰金を取られるということ。強制力がないと本を返さない人が、少なくないらしい。
夜ボストンの地ビールの「サミュエルアダムス」を飲む。クラフトビール特有の苦味が美味しい。それほど遅くならずホテルに帰ってきたが、名刺を整理していると、あっという間に夜中になってしまう。
ボストンパブリックライブラリー。B1〜3階までと、中2階の4フロアがある。
15日(水)天候は回復し晴れ間が見えてきた。明るく暖かくなってボストンの街並の美しさを楽しむ余裕がでてくる。煉瓦造りの建物は統一感がある。電線も電柱もなく、外燈もモダンなデザインだ。電柱や電線がいかに景観を壊すかがよくわかる。
今日はHTT2日目&CEAL(Council on East Asian Libraries)1日目。CEALは東アジア図書館協議会のことで、この年次総会に合わせて様々なカンファレンスも行われている。午前中は、前日同様にHTTの発表を聞く。前半が短めの発表(複数国から代表者が登壇)、後半は国ごとに別々の部屋での発表。前半の日本の登壇者はNIIの北本朝展さんによるもの。後半の発表は、北本さんの他に国立国語学研究所の菊池信彦さんと、人文情報学研究所の永﨑研宣さんの発表もある。昨日のNDLもそうだが、OCRの進歩はめざましい。これらの技術を積極的にDBに取り入れて行きたい。
ところで、この2日間で登壇者が全て男性なのは日本だけだったように思う。個々の発表内容は充実して素晴らしいものだったし、偶然だとは思うが、他国は「偶然でもそのようなバランスにならないようにしている」ことを考えれば、日本のジェンダーギャップ指数の低さと、無関係とは言えないだろう。
夜は、夜は北米のライブラリアンのYさんが、親しい方々との食事会に誘ってくださる。日本文化・日本研究の伝え手である使命感と、日本研究の市場が縮小してくことへの危機感が、言葉の端々から伝わってくる。ライブラリアンの皆さんと、日本研究をより深く広く浸透させるためのもの(本もデータベースも)を作って行きたいという気持を新たにする。「一次資料の連携が充実してきて助かっているけど、ざっさくプラスは大丈夫?」「アメリカでは、二次資料のデータベースは優先度が下がってきているから、このままじゃあと10年はもたないかも」という率直な指摘にも。それは私たちも強く感じていることだけれど、ライブラリアンの方々から言われると切迫感が増す。こういう現状を率直に言ってもらえることが、この出張に来たことの価値なのだ。帰ったら早急に、ざっさくプラスの独自の本文登載を形にしなければ。アニメやドラマの話でもおおいに盛り上がって楽しい夜に。帰りは、初めて一人でウーバータクシーに乗った。
16日(木)今日は聴きたい発表と発表の間に空き時間が多く、3時間ほどボストン市内を歩いく。CEALが始まる前に、会場(ハインツコンベンションセンター)の近くのTRIDENT BOOKSELLERS & CAFEを覗く。おしゃれなブックカフェで、雑貨類も多い。日本の本では『ノルウェイの森』や『コーヒーが冷めないうちに』が平積みされていた。本は全体的にサイズが大きく、帯がない。形態としてはペーパーバックか、ハードカバーのカバー有・無の3パターンしかない。日本の本は装丁や造本も凝っているし、ほとんどの本に帯がついているし、形態も文庫・新書・ソフトカバー・ハードカバー・ペーパーバックと色々あるし、割合ぜいたくなのかもしれない。漫画コーナーには『SPY FAMMIRY』が。
TRIDENT BOOKSELLERS & CAFEの外観と、2階からみた1階の平台。
駆け足で店内を見た後、ハインツに戻ってCEALの発表を聞く。概要しかわからないものの、ブリティッシュ・コロンビア大学のライブラリアンの喜多山知子さんが自校のコレクションを紹介した「A Meeting of Many: Collaborative Programming on the 80th Anniversary of Japanese Canadian Forced Dispersal(多くの出会い:日系カナダ人強制連行80周年記念共同企画)」や、ペンシルベニア大学のRebecca Mendelsonさんの「Showcasing Underrepresented Voices: Building the Japanese Women Photographers Collection at the University of Pennsylvania Libraries(少数者の声を紹介する ペンシルバニア大学図書館における日本人女性写真家コレクションの構築)」が興味深かった。
ところで、英語がからきしダメだというのは謙遜ではない。それでも概要程度の理解ができるのは、事前に学会のプログラムはPDFでダウンロードして、全てDeepL翻訳にかけて印刷して持参し、会場ではさらに翻訳イヤホンのTIMEKETTLEを使っていたからだ。これは、音声文字起こしアプリと、翻訳アプリ、ブルートゥースイヤホンを組み合わせた商品で、スマホで聞いた音声をすぐに文字に起こして翻訳し、日本語音声でイヤホンから流してくれるというものだ。精度は高いとは言えないけれどあるとないとでは大違い。こうした翻訳ツールがなければ、今回の出張も全然違うものになっていただろう。文明の利器にただただ感謝。
午後はまた外へ出る。ボストンパブリックガーデンを抜けて、BATTLE BOOK SHOPと、BOOKS&OLD PRINTSという2軒の古書店をまわる。
前者は3階建ての店舗。紙ものやアルバムもあった。床にアルバムを広げて話し込んでいる2人組もいる。店主も何も言わない。店の隣にはワゴンが大量に並んでいて、1ドル〜5ドルまでの均一本が大量に出されていた。監視のようなものはないから、盗まれてもいい、というくらいのものなのだろうか。
後者は1階建で奥行きがある。ペーパーバックの”Bochan”が6ドルだった。前の古本屋にもあった、アヒルの絵本”MAKE WAY FOR DACKINGS”がここにもある。ボストンの作家の新刊? と思ったが出版年は1941年。裏表紙の概要説明によれば、なるほど、舞台がボストンなのだった。9.99ドルで自分へのお土産に。(帰国してから調べてみると『かもさんおとおり』というロングセラー絵本の原書だった。)
BATTLE BOOK SHOPの外観と、外の均一ワゴン。犬の散歩をさせながら本を眺めている人も。
BOOKS&OLD PRINTS外観。アメリカは古本屋さんも原則クレジットカード払い。
ボストンパブリックガーデンのリス。カナダガンという鳥の群れもいた。
オールドコーナー書店。現在営業中の本屋だと思って行ったら、国家歴史登録財だった。
今はチポトレ・メキシカン・グリルが入居しているようだが、開いていなかった。
出張は今日で早くも折り返し地点だ。夜は早めに帰って、ホテルの近くのスーパーをのぞく。食材や調味料ひとつとっても日本とは全く違うので見ていて飽きない。芋類や豆類、冷凍食品が非常に豊富なのは冷凍食品のピラフを買って食べてみた。アメリカはオーブン料理や冷凍食品で簡単に食事を済ませる家庭が多く、あまり家で料理をしないらしい。だから換気扇のない家も少なくないのだそうだ。これは日本との違いでとても驚いたことの一つ。着るものが少なくなってきたので、ホテルのランドリーで洗濯。
17日(金)今日からAAS(Association for Asian Studies)。ここへの出展が今回の出張の主な目的だ。東アジアの歴史に関するこの学会は、毎年3月に北米のどこかで開催されてきたが、今年はコロナ以降3年ぶりの開催になる。学会発表が行われている同じ建物の中で、アジアの出版社や学術情報を扱う企業がブースを出している。皓星社は丸善さんのブースで参加させてもらう。
学会発表の合間に、入れ替わり立ち替わり、ライブラリアンの方々や研究者の方達がブースに寄ってくれる。「ざっさくプラスいつも使っています」と足を止めてくれる方は非常に多い。「北米では非常に活用されている」という話は間接的には聞いていたが、直接聞くと喜びもひとしおだ。
立ち寄ってくれた方の中に東邦大学の鈴木貴宇さんがいた。学会発表とそのアテンドでいらしたそうだ。こういう思わぬ再会が嬉しい。明日登壇されるということで、さっそくプログラムを見て予定をチェックする。昼は、ライブラリアンの方と情報交換をしながら会食。ボストンの名物のクラムチャウダーを食べる。ボウル一杯のスープが出てくるのでおどろいた。美味しいけれど、お腹いっぱいだし、塩分過多である。学術書の電子書籍の印刷やダウンロードの制限について話がおよぶ。出版社ごとに色々な考え方や立場があるけれど、皓星社の電子書籍は印刷もダウンロードもOKにしている。中途半端に規制をするよりも、どんどん読んで、活用してもらった方が、会社の評価や知名度の向上に繫るし、言論の世界が豊かになると思うからだ。
夜は、日本から来ている出版社のみなさんと食事に。こうして日本の出版社の方たちと縁を深められるのも海外出張の醍醐味だ。
AASのブース。本稿で唯一「仕事」っぽい写真。
18日(土)AAS2日目。昨日よりも研究者の人たちが多い。ライブラリアンの皆さんは、AASとCEALセットにしていらっしゃるので、CEALの終了後、AASを1日見て翌日には帰られるケースが多いらしい。お昼は外に出て、Kさんとロブスターサンドを食べる。美味しいパンに、ふんだんにロブスターの身が乗っていて、そこに温かいバターソースをかけて食べるというもの。マンゴーとロブスターが乗ったサルサも美味しい。海外で同世代の友人ができたこともいい思い出だ。
午後は鈴木貴宇さん達のパネルを見に行く。登壇されていたのは鈴木さんのほか、法政大学大原社研の榎一江教授、東京大学の清水剛教授、メリーランド大学のジェンキンス加奈さん。やはり英語が全然わからないが、固有名詞だけはなんとか理解する。夕方、ボストンのお土産物屋さんまで、電車で行ってみる。地下鉄にも広告がひとつもない。
残り日数も後少し。10日は長いと思っていたけれど、結構あっという間だ。そういえば、時差ボケは全然なかった。
ロブスターサンド!とても食べでがあります。
19日(日)ASS3日目で最終日。半日で終わりなので来場者も少ない。空いた時間を見計らって、台湾の代理店の「漢珍」さんのブースへ。戦前(日帝時代)の雑誌の索引DBと連携したいということを相談すると(といっても英語ができないのでKさんに間に入ってもらうのだが)、非常に好意的で前向きな返事をしてくれる。来日の予定があるということなので、ぜひ話を進めてみたいと思う。飛び込み営業だが行ってみてよかった。午前中で撤収し、ボストンの駅でハンバーガー(やはりミディアムレアで)を食べ、再びアムトラックでニューヨークへ。ここでKさんとお別れする。10日間本当にありがとうございました。日本に来たときには、何かお礼ができたらと思う。空港近くのホテルに一泊。近くには飲食店がないのと、空港近くはあまり治安がよくないようなので、デリバリーでパスタを頼む。「ウォッカ」というその名の通りウォッカを使ったトマトソースのパスタを選んでみたが、お酒の独特の風味があって美味しかった。
20日(月)昼過ぎの飛行機で離陸。復路は、往路より2時間多い14時間のフライトだ。アラスカの上を飛んでいる最中、眼下にはずっと雪原か氷河が広がっている。『ウォールデン』の残りを読み切り、うつらうつらとする。時差の関係で、外はずっと明るい。
アラスカの雪原。遥か彼方まで一面の雪だ。
21日(火)日本時間17時に着く。足が浮腫んでパンパンになり、靴がきつい。行きよりも帰りが格段にしんどかった。空港で、丸善のSさんTさんとお別れする。丸善さんにはこの間本当にお世話になりっぱなしでした。とんだ子守で、ご苦労おかけしました。おかげ様でいい出張になりました。
アメリカに行けば相対的に日本の良さが見えるかと思っていたけれど、そうでもなかった。むしろその逆で、アメリカには日本にはない解放感があった。この今の日本の閉塞感は一体なんなのだろう。
特に今回つよく感じたのは、ライブラリアンの方々の、日本研究市場の縮小にたいする危機感だ。日本のコンテンツは魅力も人気もあるが、そもそも使えるツールが少なかったり、法の規制や出版社の姿勢が厳しかったりして、「今、便利に使えるツール」があまり多くない。そのためツールが豊富な別のアジア研究に人が流れている。こうした話は今に始まったことではなく、私もこの業界に入った十数年前から繰り返し聞かされてきたことではあるが、対面することでその危機感が直に伝わってきた。皓星社として、それから小出版社として何ができるか模索していきたい。悪態はついても、やっぱり私は日本に愛着も愛情もあるから、日本語文献や書物を通じて、日本の文化が次代によりよい形で伝わっていくようにしたいのだ。
ニッポン ニッポン
ニッポンの心に生れた人間が
その心に悪態をつきながら
このニッポンを愛している
(長澤延子「ニッポン」、弊社刊『長澤延子全詩集』より)
こんな詩を思い起こしながら、家路に着いた。
付記
・HTTについては、翌15日に発表をされた人文情報学研究所の永崎研宣先生がレポートをかいていらした。
・訪米中にお会いした、カリフォルニア大学バークレー校のマルラ俊江さん、アイオワ大学図書館の原田剛志さんによる、「図書館向けデジタル化資料送信サービスへの北米からの参加の現状と今後への期待」が公開されていた。ここに、日本研究がその内容ではなく環境のために、韓国研究に追い抜かれてゆく例の一つが示されている。