神保町のんしゃら日記12(2024年12月)
12月2日(月)今日、明日と京都でデータベース営業。実りのある聞き取りができた。丸善雄松堂の営業担当さんと、やっぱりこの仕事は、好きなことでと飯が食べられて恵まれている、という話で頷きあう。出版関係の仕事についていても、必ずしも本好きということではない、というのは、業界に入ればすぐに誰でも気づく。だからこそ、熱量を持って働いている人と会うと、(勝手に)励まされ、仲間意識を持ったりする。単純な人間にとっては、そういうことが内面的には大事だったりする。
3日(火)引き続き大学営業。夜は著者の方がたと会食し、ギリギリ日付変更前に帰宅。
4日(水)今日は『書庫をあるく』の見本日。ぴかぴかの担当書ができてきて、出張のつかれも吹き飛ぶというものだ。届いたら早速、一梱包もって南陀楼さんに渡しにいく。イベントのことなど相談しつつ、完成をよろこびあう。この本のおかげで色々な図書館や資料館の書庫に入らせてもらった。館の設立、そして蔵書の継承にはさまざまな個人や有志の地道な仕事、静かな情熱があった。貴重コレクションの紹介はもちろんだけれど、本書の一番の読みどころはここなのではないかと思っている。頑張って売ろう。
5日(木)電車で落合恵子さんの『クレヨンハウス物語』(ちくま文庫、1997)を読む。途中付箋を貼り貼り。 「戸籍や国に、なぜわたしの愛情が保障されなければいけないの? という思いがあるから、結婚制度の中に自分を置くことを考えてきませんでした。だからといって、それを他の人たちに押し付けたり、すすめる気はありません。大切なのは、それぞれの選択であるのですから」(「結婚」について) 「子どもがいないのに子どもの本屋さんをやって、と言われたことがありますが、わたしもかつて子どもだったし、いまでもわたしの中には子どもだったころのわたしがいます。……子どもがいることが体験であるなら、いないことも体験です」(しないという体験) 「個人が人種や国籍や思想や身体的精神的状態によって選別されない社会、アンチ・ナショナリズムとしてのフェミニズムが、わたしの理想です」(フェミニズムについて) 私は何か大きな主義主張があって、例えば事実婚を選択したり、子どものいない人生を選んだわけではない。でも状態ほ継続には自分なりの理由、つまり言葉が必要だ。この本はお守りのような言葉が詰まっている。版元品切れらしいのが惜しい。
6日(金)午後、東京古書会館でイベントの相談。歩いて向かいながら、昼ごはんは三幸園でニラそばを食べる。有名メニューらしいのだけど、いつも混んでいてあまり入れず、初めて食べた。ニラ一色の緑のスープに、黄色い生卵がぽっかり浮いている。スタミナ抜群。匂い、大丈夫だったろうか。
9日(月)南陀楼さんが『書庫をあるく』のサイン本を作りにきてくれる。二時ほどかけて、百冊、書いていただく。 10日(火)都内のある専門学校の図書室見学。データベースへの資料提供について相談させていただく。ニッチな分野の情報も引けることが、実はDBの底力になるのだと思っている。夜は吉祥寺曼荼羅で重信房子さんの『暁の星』コンサート。パレスチナに思いを馳せるステージ。
13日(金)『書庫をあるく』発売日。がんばって売るぞー、と張り切っていたのに、体調不良で珍しく寝込む。休み休み自宅作業。辛い。 と、思っていたらふるさと納税の「凄麺24個セット」が届く。やったー!。「ねぎ味噌の逸品」はじめ、このカップ麺はすごく美味しいし、ふるさと納税ではオマケで「凄麺MAGAZINE18号」と「すごめんちMAGAZINE2号」という小冊子が入ってきたのがツボ。製作者の自社製品愛が溢れている。続けて購入したらコンプリートできるのか? 紙物好きにはこういう非売品はたまらない。文フリで出したら売れそう。凄麺シリーズは、フタの裏に製作秘話なんかもプリントされていて食べていて美味しいだけでなくて楽しい。こういう小技は、本作りにも応用できないものか?
14日(土)近代出版研究所の忘年会。所長の小林昌樹さん、所員の森洋介さん、皓星社で出版研事務局の河原さんほか今年も入れ替わり立ち替わり20人近い方があつまってくれて楽しい会に。すっかり元気と思ったら、夜になってまた調子が悪くなってきた(ただの飲み過ぎ?)。
15日(日)ハンセン病資料館友の会のイベント日。松岡秀明先生による明石海人の講演。明石海人は日記には子供や家族のこともたくさん書いているけれど、短歌の主題としてはあまりそれらは上がってこない。『白描』でみずから表現しようとした歌人としての自分と、生活者、病者としての自分はやはり異なるのだ。集客がうまくいかず申し訳なかった。晩ごはんはIさんが釣ってきたシイラをフライにしてフィッシュバーガーを作る。
18日(木)楠本さんと海外版権のジェントへ行く。ダメ元で話を聞きに行ってみたのだけれど、意外と可能性があるかも?実際に動いてみないとわからないものだ。
20日(金)人間ドックで初めての大腸内視鏡。下剤はともかく、腸内洗浄用のポカリのようなものを一リットル飲むのがつらかった。検査自体は麻酔を打ってぼーっとしている間に終わっていた。胃にひとつ、腸に二つ極小のポリープがあるので、3年くらいのうちに取った方がいいよと言われる(大腸のポリープは癌化するリスクあり)。早いうちにわかってよかった。終わって麻酔が抜けるのを待って帰宅。
22日(日)家の掃除。今年こそはちゃんと大掃除をしようと、はやめに少しずつ着手する。今日は掃除機をかけて、フローリングにモップをかけた。夜はIさんが釣ってきたマハタをアクアパッツァにして食べる。一度、魚にオリーブオイルで焼き目を付け、貝と野菜一緒に少なめのスープで煮る。魚介の出汁とトマトの酸味が合わさって抜群に美味しい。白身魚のいいところがグッと引き立つ調理法。
24日(火)「書庫拝見」の取材に同行する。取材の最後に、ちょっとびっくりするような資料が偶然発見された。南陀楼さんが資料を読んで「こういうものがあるはず」といって、みつかった。こういう勘どころがすごい。(2月10日配信予定)。
25日(水)画家の古茂田杏子さんから絵本の原画を受け取る。
27日(金)年内営業最終日。忘年会をするつもりだったけど、笹森さんが体調を崩しお休みなので、新年会に持ち越しに。代わりに出勤組で辰巳家で寿司ランチを食べて簡単な締め。来年だす、早尾貴紀さんのパレスチナ関連の新刊(担当:楠本)のタイトルが固まらず最後まで話し合いを続ける(年があけて『パレスチナ、イスラエル、そして日本のわたしたち 民族浄化の原因はどこにあるのか』に決まった)。さてさて、今年もみなさんお疲れ様。
28日(土)帰省。18時に盛岡駅について、仕事おわりの両親と三寿司へ。岩手出身でも行ったことがない場所や店はたくさんある。ここは納豆巻きの発祥の店らしいけど初めてきた。カウンターもテーブルもあるワンフロアーで、カウンターに3人並んで座る。カウンターならネタケースを見ながら握りたてを食べられる。一方背中の方からは明るい声がたくさんしていて、店全体が賑わっている感じが、敷居が高すぎなくていい。地元で暮らしていたら、忘年会や納会で来るのもいいだろう。満腹になって、バスで家に帰る。この後、1日までいる予定。明日妹が来る。
29日(日)午前中の在来線に乗って一ノ関へ。一時間半ほど電車に揺られる。白と茶色の車窓をぼーっと、なんということもなく眺める。高校時代からの友人と焼肉ランチしながら積もる話。一ノ関に最近できたというシェア型書店「tsugibooksTEN.」にも連れて行ってもらう。
30日(月)母の実家へ移動している最中に、大叔父が危篤との連絡。今夜が山だという。予定を変更して病院へ向かう。大叔父は目を瞑ったまま、手を握るとたまに握り返してくれる。帰り際に二、三度うっすらと目をあけてくれた。此岸と彼岸のあいだでまだかろうじてこちらにいて、ゆっくりと手を振ってくれているのだろうか。母の実家からの帰り道、亡くなったとの電話をもらう。 大叔父と大叔母は二人でずっと生きてきて、子どもはいない。二十年ほど前から大叔父は認知症の気配があって、闘病しながらつい一年くらい前まで、自宅で生活をしてきた。そんな二人の一方が居なくなったとき、一方は果たしてどうなってしまうのか。それは私にもまた、当てはまることなのだ。茫漠とした果てしない時間の中に立っていることに気づいて(あるいは普段は見ないふりをしていることが、目の前に差し出されて)、途方に暮れる。やりきれない。
31日(火)大叔父の家へ行きお線香を上げる。穏やかできれいな顔だ。親戚が徐々に集まってくる。葬祭センターの担当者もやってきて打ち合わせがあり、このあと4日にお通夜、5日に火葬とお葬式ということになる。この家から大叔父が葬祭センターに行くのは4日。比較的長く、自分の家に居られるようだ。5日は日曜日で、6日月曜日が仕事始めなので、このまま葬儀が終わるまで滝沢にいることにする。そんなはずはないのだけれど、色々な人が集まりやすい日を、大叔父が自ら選んだように思われてしまう。私たちは2日の夜に線香番をすることになった。久しぶりに4人だけの年越しをする。
【おもな登場人物(登場順)】
藤巻さん 弊社創業者 むかしばなし、などぜひお読みください
笹森さん 弊社営業部長 自転車ガチ勢
河原さん 弊社データベース部部長 2024年12月に初の著書『出版人物落ち穂ひろい』を刊行
楠本さん 弊社編集者 直近の担当書は『二代男と改革娘』
亮一さん 弊社デザイナー 面白いTシャツ好き
Iさん 著者のパートナー 釣り好き