皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

神保町のんしゃら日記2 2024年1月 晴山生菜(皓星社)

1月1日(月)蒼前神社で元朝参りをし、盛岡をでてIの実家へ。新幹線で来年度の計画を考えているうちに、あっという間に関東に着く。在来線のホームへの階段を下りていると、緊急地震速報が鳴った。能登半島沖、津波警報も出ているようだと除々に分かってくる。金沢出身の社員の河原さん、金沢文圃閣の田川さん、佐渡の著者の北見継仁さん(もうすぐ『青柳秀雄の生涯とその業績--知られざる佐渡の郷土史家・蒐集家』を刊行予定)に連絡、身近な人たちはみな無事とわかり一安心。
2日(火)自宅に帰り荷解きをしていると、羽田空港に飛行機が落ちたというニュースが飛び込んできた。海保機との衡突だという。子どもの頃にくりかえし母に聞かされた、雫石町の七つ森の飛行機事故の話(*)を思い出してしまう。一体、何という正月か。
(*全日空機雫石衝突事故。1971年7月30日、全日空の旅客機と自衛隊機が雫石町上空を飛行中に衝突、墜落した。乗客一六二名が全員死亡するという悲惨な事故だった。母は当時5歳で、山に飛行機が落ちていくのを見たという。)
4日(木)今年初めて神保町へ。会社に出で明日からの仕事始めの準備。夜は阿佐ヶ谷のだいこん屋さんへ、書楽での先行発売のことを記載したポスター持参する。常連さんが店内に貼るのを手伝ってくれる。新年限定、昭子さん手製の黒豆とカツオをつまみに飲む。『阿佐ヶ谷歳時記』には、昭子さんが松本さんの思い出を語ったあとがきもある。お二人の馴れ初めがまた、すごくいいのだ。
5日(金)仕事始め。打ち合わせの後、昼に「たいよう軒」に行くと、今月26日で閉店のお知らせが……。あっさりした美味しい東京ラーメンが一杯五百円であった。皆「社食」とよんで通っていたので、一同しょげかえる。これから閉店までの間に一生ぶん食べよう。
9日(火)佐中由紀枝さんの写真作品集『光の函』(四月刊行予定)のための撮影、一日目。佐中さんの作品が装幀に使われた本を撮る。場所は神楽坂のスタジオ・クラスターさん。間村さんも立合いのもと、順調に予定をこなして、一日で全体の三分の二の撮影がおわる。明日半日で十分おわるだろう。今日は楠本さんが、カラサキさんと北九州の書店を同行営業してくれている。Xのタイムラインから、二人の楽しそうなようすが伝わってくる。
10日(水)撮影二日目。朝一度会社に出てからスタジオ・クラスターへ。今日も順調にすすみ、想定よりだいぶ早く終了。本を並べ真直ぐ、ゆがみなく撮る時の集中と、細部への拘りは鬼気迫るものがあった。そのような向き合い方が全体の質を高め、維持していくのであろう。版元ドットコムの理事会(オンライン)をすませ、作りおきのシチューで夕飯。
11日(木)ある本の増補復刊について、元の本の出版元から、無事に承諾を得る。ほっ。
12日(金)出張していた楠本さんが出社して、今年はじめて全員で顔をあわせての打合せ。社内の体制が変わるので少し長めに。午後は岡部隆志先生の新しい短歌評論集『「悲しみ」は抗する』の初校著者校正を発送し、同じく来月末にグループ会社のハッピーオウル社から刊行する絵本『ありえない』(内田麟太郎・文/クレーン謙・絵)を入稿する。ばたばた。
14日(日)家の掃除中、約十年前の日記をみつける。のもの。恥ずかしさ、気持ち悪さ、親わしさ、まぶしいような気持。はたしてこれは、本当に過去の自分だろうか?20代なかばの、まだみずみずしい若さがある。幼なさもある。会社を継ぐことにしたのが2017年秋のことなので、その2年前ということになる。この事業承継が私という人間に大きな変化をもたらしたということが分かる。性格、思考、言葉、感受性。根っこのところは変っていないが、根、以外の部分は相当に変った。なんというか、乾いた感じになった。良くいえば合理主義的で、若い人特有のゆらぎのようなものが少なくなった。全体に実務的になったというべきか。一方で、私じしんの陰翳、(それは、かつて私が最も大切にしたいと思っていたもの)がなくなり、平板になったともいえる。そういう自分が少なくなってしまったことは、正直さみしい。さみしいけれどさみしいことは悪いことではないし、今の自分だってそう悪くはないはずだ。
16日(火)阿川弘之『青葉の翳り』を読みおわる。年末に盛高商店で100円で買った講談社文芸文庫(!)。表題作はじめ全体に戦争の影がある。「さくらの寺」という短編に、
「今をときめく人々の所論とずいぶんちがう自分ら同期生の戦時中の海軍生活をありのまま描いた長篇一作遣したい、それだけが望みであった。これが出来たら、あとはどうなってもいいような気がしていた。」
とある。作品と作者を過度に結びつける読み方は好まないが、これがこの作家の書く理由だったのだろう。情緒、というものはあまりなく、その乾いたかざり気のない文体が良い。作品の中では「スパニエル幻想」のぶつりと切れる感じ、突然表出する絶望感が好きであった。
17日(水)笠井瑠美子『日日是製本 2021』通勤の主復で読む。製本会社ではたらく女性の日記+エッセイ。「ことば」を、「本」をつうじて届けることへのひたむきさを尊く思う。でも重々しくなく、軽やかで楽しそうなのだ。そのような朗らかな人でも(であればこそか)女性の生きづらさということに関して、皆いろいろ感じるところがあるのだなと思う。午前中に新刊の打ち合わせ一本、午後は出版者協議会の理事会。
一昨日に過去の日記を見つけてから、手書き文字は、後から見るとその時々の自分の状態がわかって良いと感じ、ここ数年パソコンで書いていた日記を、手書きに戻してみている。(この日記も手書きしたものをグールレンズを使って撮影し活字にしたものがベースになっている。)
18日(木)版元ドットコムの新年会。ブックセラーズ&カンパニーの宮城社長の講演。
19日(金)ハッピーオウル社の『どっち?』(松岡達英著)4刷ができる。夏から売上が伸びていて、夏以降2回目の増刷。ありがたい。電車で川上弘美『ニシノユキヒコの恋と冒険』を再読。これは現代の源氏物語ではないだそうか。
21日(日)自分でもうすうす気づいてはいたが、「白髪が目立つようになってきた」とⅠに言われ、観念して桜山美容室に相談に行く。できるだけカラーリングはしたくないので、染めないでこまめにカットして対処することにする。カラーもパーマも勧めず、一緒に「暮らしやすい髪」を考えてくれるので、葉山に転居してからずっとここに通っている。美容師のJさんは以前、沖縄で定期的に出張美容室もしていた。「ちょうど沖縄のおばあから野菜が届いた」といって、おすそわけしてくれた。美容室で食べ物もらったのは初めて。
23日(火)痛根のミス。進行上の遅れなどはないが、落ち込む。
25日(水)朝からデータベースの代理店の丸善雄松堂へ。来年度の営業打合せ。あとラスト2日のたいよう軒で昼食(ワンタン麺)、午後はもう一軒データベース関連の打ち合わせ。
26日(金)たいよう軒最終日。これで最後と、ラーメン大盛を味わって食べる。こんなラーメン屋さんには二度とめぐりあえないかも。今までごちそう様でした。佐中さんと打合せし、直帰。37歳の誕生日。
27日(土)だいこん屋主人・松本純さんを偲ぶ会。まごころのこもった偲ぶ会だった。松本さんの人柄のなせるわざだ。妻・昭子さんが最後の挨拶で「皆それぞれの家族や友人、恋人を大切に」と言っていたのを胸のつまる思いできいた。
今週、『ぼくは本屋のおやじさん』(晶文社)を読んだ。この本、六年ほど前に岡山駅前の魔窟のような古本屋(名前も忘れてしまった)で、一見にもかかわらずなぜか店主と話し込み、「読んだことないならあげるよ」ともらったもの。売り物ではなく市立図書館の除籍本で、個人的にもらったものだから、と言っていたが、普通の売り物の本と、店主が個人でもらってきた除籍本が混ざった摩訶不思議な店であった。それを何年も積んでおいて、ようやく読んだ。
「ものを書くという行為は、自分を正当化するためにとか、自分を売りこむためにとかいうことではない。書くことによって、もしかすると自分が不利になるような、自分の悪さがさらけ出されてしまうような、どんなに外に書いたものでも、自分にはねかえってくるようなものでなければならない。どちらかといえば、書かなければよかったと思うようなものが、本当に書かねばならないことなのではないだろうか。」
自分の書くものを省みて、はじいるばかり。