皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

鎌田慧セレクション ─ 現代の記録 ─

刊行の言葉

行動するルポライター鎌田慧の、戦後日本の闇を抉る作品から重要作品を自選しさらに「拾遺」として「単行本未収録文集」を加えた『鎌田慧セレクション』を刊行します。格差が拡大し差別と分断が蔓延るいま、その種子が蒔かれた高度成長期の闇を暴く鎌田の仕事を再読することは、いまこそ必要な ことではないか。そう考えて、いまを生きるすべての人に贈ります。

全12巻

A5 判並製 平均350ページ
予価各巻 2,700円+税
2024年9月より隔月刊行

1.冤罪を追う

冤罪という権力犯罪の追及、雪冤運動との同伴は鎌田の代名詞となった。財 田川事件の『死刑台からの生還』、狭山事件、袴田事件、三鷹事件、福岡事件、 菊池事件などの論考を再編集して収録。

2.真犯人出現と内部告発

真犯人が出現してもなお冤罪者を追い詰める警察とマスコミの退廃。内部告 発の手紙によって公害隠しが明らかになった対馬・イタイイタイ病をめぐる地を 這うような取材活動。 『弘前大学教授夫人殺人事件』『隠された公害』の 二編を収める。

3.日本の原発地帯

チェルノブイリ、福島原発事故のはるか以前、1971 年から鎌田は反原発だった。へき地や過疎地帯に交付金と引き換えに押し付けられる原発。鎌田の矛先はその危険性だけではなく差別的な原発推進政策に及ぶ。『日本の原発地 帯』『原発列島をゆく』を収録。

4.さようなら原発運動

内橋克人、大江健三郎、落合恵子、坂本龍一、澤地久枝、瀬戸内寂聴、辻井喬、鶴見俊輔に呼びかけ、脱原発の大衆運動を一挙に拡大した「さようなら原発運動」の記録と現地ルポ。

5.自動車工場の闇

世界数か国で翻訳出版されたトヨタ自動車の夢も希望も奪い去る、非人間的労働環境を暴いた鎌田ルポルタージュの原点。『自動車絶望工場』ほか。

6.鉄鋼工場の闇

真っ赤な溶鉱炉の火に魅せられた男たちの夢と挫折。日本の高度成長を支えた基幹産業の闇に迫る。『死に絶えた風景』 『ガリバーの足跡』を収める。

7.炭鉱の闇

落盤事故、炭塵爆発事故、合理化による大量首切り。反対闘争への官憲の弾圧、資本に雇われれたやくざの襲撃。必死に生きる労働者と家族の生きざまを伝える鎌田ルポの神髄。『去るも地獄残るも地獄』ほか。

8.教育工場といじめ

1969 年、日本の教育は民主化教育から大転換した。管理教育の実態とその 歪みから生じた「いじめ」を追う。『教育工場の子どもたち』 ほか。

9.追い詰められた家族

社会のひずみは擬制の共同体「家族」を破壊して子どもを追い詰める。永山 則夫とはだれか ?『家族が自殺に追い込まれるとき』『橋の上の殺意』 ほか。

10.成田闘争と国鉄民営化

日本史上最長、最大の農民闘争となった三里塚闘争の渦中からからの報告。 国有鉄道、この日本最大のインフラを財界に売り渡した、利権と裏切りが渦巻 く『国鉄処分―JR の内幕』は、現在の北海道、四国の交通の惨状を予告した。

11.沖縄とわが旅路

島の住民の四分の一が殺され、いまもっとも戦争に近い島『沖縄―抵抗と希 望の島』。及び著者の自伝的文章を再編集して収録。

12.拾遺

人物論 / 文庫解説 / エッセーなど単行本未収録作品を精選し収録する。

※四方同席(アイウエオ順)

後進たちに道標を示す羅針盤(青木理)

若き日に耽読し、この仕事に携わるきっかけを与えてくれたルポルタージュ作品とその書き手は数多い。井出孫六さんの『抵抗の新聞人桐生悠々』、本田靖春さんの『不当逮捕』、松下竜一さんの『狼煙を見よ』、斎藤茂男さんの『父よ母よ』……等々、いずれも70年代から80年代に紡がれ、しかし憧れた書き手の大半は残念ながら鬼籍に入ってしまった。一方、いまも現役で健筆を振るう書き手もいて、筆頭が鎌田慧さんであり、73年刊行の『自動車絶望工場』は高校時代に貪り読んだ。その鎌田さんが「選集」を編むという。まさか“終活”というわけではあるまい。そんなことでは困るのだ。政治は言うに及ばず、メディア状況も混迷の度を深めるなか、今般の「選集」は大切で貴重でも、あくまで一つの句読点、新たな「選集」に向けて一層健筆を振るってほしい。私をこの仕事に誘った先達の一人として、混迷の時代の後進たちに道標を示す羅針盤として。

もっと知りたい、もっと読みたい(落合恵子)

あるひとについて、あるいは、あるひとの作品について書いたり、語ったりするとき……。わたしはいつも言い知れぬ不安に陥る。おそれに近い怯えを感じる「おそれ」は「恐れ」であり「畏れ」でもある。鎌田慧さんについても同じように感じる時がある。その存在を、わたしはどれほど深く知っているのか、と。わたしは自分が理解できる範囲で見たいように見ているだけではないか、と。何か大事なものを見逃してはいないか、と。「もっと知りたい、もっと読みたい」。そんなわたしののぞみに、こたえがでる。このシリーズである。それでもなお、頁におさまりきれない広さと深さを大きさと、幾つもの風の通り道を鎌田慧というひとは有しているに違いない。著作は暮らしの副産物である、とわたしは信じたい。そこから生まれてくるその憤りを、その充実を、その深呼吸の時を、もっと知りたくて、わたしは読む。さらに読む。そうして、この先ずっと読み続けていくにちがいない。

今こそ鎌田慧の著作を読みたい(金平茂紀)

いやしくもジャーナリストを名乗る者が、強い者にこびへつらい、助言するのも役割だ、などと公言して憚らない時代の中に、私たちは生きている。そんな中で、鎌田慧さんの姿勢は、まっすぐで不変だ。弱い側の人々、声をあげられない人々の側に立つ。舌の滑りばかりがなめらかな「口舌の徒」(その多くはオンライン上で活動している)とは対極の場所にいる鎌田さんの、あの訥々とした語り口に惹かれるのはなぜだろうか。取材現場でお会いするたびに、僕はほっとする。もう大昔の著作になるが、『自動車絶望工場』で描かれた企業の構造は、本質的には今も何ら変わっていない。鎌田さんが原発の町々を訪ね歩いて浮かび上がらせた地域共同体破壊の構図も変わっていない。この国はどこへ向かおうとしているのか。鎌田さんは凝視し続けている。今という時代、また鎌田さんの文章が読みたくなった。

若い日の慧眼を誇る(斎藤美奈子)

学生時代、私の周囲で鎌田慧はちょっとしたアイドルだった。『自動車絶望工場』にみな感激し、過酷な労働現場の実態に憤慨し、同時にこの方法なら自分にもルポルタージュが書けるかもしれないという希望を与えた。それから半世紀、彼は現場を歩き、運動の先頭に立ち、いまも第一線であり続けている。当時の仲間たちはその後、社会に出て、すでに引退の年齢を迎えた。その間、彼はずっと書き続けきたのである。しかも炭鉱や原発から、教育、犯罪、文学者の評伝まで。かつて「鎌田慧に目を付けていた私たち」の慧眼を誇りたい気持ちだ。

信頼する兄貴(佐高信)

鎌田さんは私にとって信頼する兄貴である。おなじ東北出身の鎌田さんの考えと行動を私は限りなく敬愛している。鎌田さんはルポライターという肩書を手放さないが、あくまでも現場に立って書くと決めているのだろう。特に東北では口だけの人間を「ベロ屋」と言って軽蔑する。ベロとは舌のことだが、鎌田さんはベロ屋と正反対の人である。作家の中野重治は「口ごもりがちの抗議」ということを言った。軽々しくない、存在をかけた抗議ということだろう。重心を低くした鎌田さんの抗議はまさにそれである。鎌田さんの書くものには生きとし生けるものへの慈愛があふれている。それだけにそれを侵すものに対しての怒りは熱くなる。信頼する兄貴の選集が確かな読者を獲得することを願っている。

大衆に寄り添う表現者の系譜(澤地久枝)

鎌田慧は、鶴見俊輔、小田実、大江健三郎など、人民大衆によりそう表現者の系譜をつぐ。「ルポライター」の肩書は秘めた自負の揺るがぬ表明であろう。私たちは今、名もない人々の示威運動の先頭にこの人を見る。

鎌田さん ありがとう(保阪正康)

鎌田慧さんと私は同年代である。鎌田さんは昭和13年、私は14年の生まれだが、15年、16年を含めて、戦後民主主義教育の第1期生という言い方もできるのではないだろうか。敗戦直後の日本社会、確かに飢えと貧しさと、そして喧騒の日々ではあったが、第1期生の教育現場は凄まじいエネルギーの発露の場であった。「日本は戦争を仕掛けた悪い国」「君たちはミンシュシュギの子」「日本は二度と戦争をしません」、そういう言葉が若い先生から涙交じりに聞いた世代だ。僕たちの年代はそういう言葉を子供心に感覚で受け止めた。それが第1期生の共有体験だ。感覚は時間と共に薄れる。それを論理とし、思想とし、生活の芯にしなければ第1期生の意味はない。鎌田さんは最初の作品『(自動車絶望工場』)以来、私たちの世代のエースとしてこの感覚を思想、哲学に、そして生活の骨格にと鍛え上げた。私はいつも鎌田さんと会うたびに、内心で「ありがとう」と呟く。戦後民主主義を虚妄などと知ったかぶりの愚見に対抗するのは、「鎌田さんの仕事を見ろ」と応じる。今回の選集は、「私たち世代の次世代への申し送り」であり、「歴史のアリバイ」である。内心で「ありがとう」と呟くのではなく、声に出して「鎌田さん、ありがとう」と叫びたい。

澤地久枝さんと(撮影:木下健)

1938年青森県生まれ。 弘前高等学校卒業後に上京、零細工場、カメラ工場の見習工などをへて、1960年に早稲田大学第一文学部露文科に入学。卒業後、鉄鋼新聞社記者、月刊誌「新評」編集部をへてフリーに。1970年に初の単著『隠された公害:ドキュメント イタイイタイ病を追って』(三一新書)を刊行。以後、冤罪、原発、公害、労働、沖縄、教育など、戦後日本の闇にその根を持つ社会問題全般を取材し執筆、それらの運動に深く関わってきた。東日本大震災後の 2011年6月には、大江健三郎、坂本龍一、澤地久枝らとさようなら原発運動を呼びかけ、2012年7月、東京・代々木公園で17万人の集会、800 万筆の署名を集めた。2024年現在も、狭山事件の冤罪被害者・石川一雄さんの再審・無罪を求める活動などを精力的に行っている。

主な著書

『自動車絶望工場:ある季節工の日記』(1973 年、現代史資料センター出版会、のちに講談社文庫)
『日本の原発地帯』(1982 年、潮出版社 のちに青志社より増補版)『死刑台からの生還』(1983 年、立風書房 のちに岩波現代文庫)『教育工場の子どもたち』(1984 年、岩波書店)
『反骨 鈴木東民の生涯』(1989、講談社 新田次郎文学賞受賞)『六ヶ所村の記録』(1991 年、岩波書店 毎日出版文化賞受賞)

1972年東京生まれ。1996年、武蔵野美術学園版画研究科修了。「現在」起きている現象の根源を「過去」に探り、「未来」に垂れこむ暗雲を予兆させる黒い木版画を中心に制作する。古書研究など独自のリサーチを徹底し、歴史や現実の闇を彫りおこすことで真実から嘘を抉り出し、嘘から真実を描き出す。

〈パブリックコレクション〉

文化庁 東京国立近代美術館 東京都現代美術館
国立国際美術館 高橋コレクション ニューヨーク近代美術館 ほか

風間サチコ「人外交差点」2013年
木版画(パネル、和紙、油性インク)、 180x360cm
The Kenneth and Yasuko Myer Collection of Contemporary Asian Art. Purchased 2014 with funds from Michael Sidney Myer through the Queensland Art Gallery | Gallery of Modern Art Foundation / Collection: Queensland Art Gallery | Gallery of Modern Art / © Sachiko Kazama / Photograph: QAGOMA