皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

第36回 笹と松の健康法、そして崔承喜……学風書院の高嶋雄三郎

河原努(皓星社・近代出版研究所)

 

■『笹に憑かれて』

10年近く人物方面から近代出版史を見ていると、たくさんの名前と顔なじみ(?)になる。その日も週末古書展の棚に刺さっていた本の背で、なじみの名前と行き逢った。高嶋雄三郎。戦前の仏教学者・高嶋米峰の息子と言えばわかるかしらん。彼は戦後の一時期、学風書院という出版社を経営していた人である。
本のタイトルは『笹に憑かれて』(学風書院、昭和38年)、副題には「この神秘な薬効を持つ植物」とある。どう考えても微妙な内容だが、この手のアヤシげな本は手に入れにくいので、やむを得ず買っておくことにした。500円。
先日、積ん読の山から引っ張り出して読んでみると、熊笹から作る青汁の話、自分の身辺(と最近亡くした長兄)の話、笹にまつわる風土記や食べ物の話が中途半端に混じっていた。熊笹の青汁は「サンクロン」という商標名だそうで、昭和38年の本ゆえ「今もあるんかいな?」と検索してみたら、フツーにウェブサイトが出てきて、驚いた。

 

■竹の次は松、そして松竹梅……

著書を出す人は1冊で終わることは少なく、2冊、3冊と出していくものである。「国会図書館サーチ」で高嶋雄三郎の本を検索してみたら、なんと30件も出てきた(ダブりがあるので実際は15冊ほど)。古本では珍しそうな『笹に憑かれて』も今はインターネットで読めることがわかったが、驚いたのは『笹をたずねて』(学風書院、昭和41年)、『竹の風土記』(学風書院、昭和42年)と笹(竹)の本を出した後、『松葉を食べよう』(松葉を食べる会、昭和44年)、『長寿の秘訣 松葉健康法』(講談社、昭和60年)などと、松の健康法に転向していたことだ。あの講談社から健康法の本を出すようになった出世ぶりにも驚いたが、さらに彼の『長寿の秘訣 松葉健康法』がこの令和の御代(2022年=一昨年!)に「ヒカルランド」という版元から復刻されていたのにはもっと驚いた……【図1】。
国会図書館には所蔵されていないが、昭和50年には『松竹梅健康法』(真砂書房)という本を出している。笹は青汁、松は松葉をジュースやお茶にするようだが、梅は……何をどうするのだろう? 梅干しか? さらに法政大学出版局の定評ある〈ものと人間の文化史〉シリーズで『松』(昭和50年)を担当してたのにも驚かされた。

【図1】『笹に憑かれて』と復刻された『長寿の秘訣 松葉健康法』

■演劇人から出版人へ

彼の履歴をまとめると……。
高嶋雄三郎は、仏教学者で太平洋戦争中に母校・東洋大学の学長を務めた高嶋米峰の三男として、明治44年に生まれた。東京府立第五中学(現・東京都立小石川中等教育学校)から法政大学に進んで間もなく、金杉惇郎、長岡輝子、古川晴男(のち昆虫学者)、小川平二(のち衆議院議員)、竹脇昌作(のちアナウンサー、俳優・竹脇無我の父)といった五中の先輩たちが劇団のモンブラン座を結成した際に自身も菊池寛「順番」の一幕に出演して演劇に開眼。仲間を集めて黎明座、第七劇場を旗揚げし、大学卒業後は東宝劇場文芸部、日劇舞台監督、東宝宝塚撮影所演出部と演劇畑を点々とした。
中央公論社の社史『中央公論社の八十年』(中央公論社、昭和40年)に拠ると、高嶋は昭和14年10月に同社に入社(p435下段中央)。16年調査部、18年出版部から、19年1月『中央公論』編集部に移るが、同年10月弾圧による会社清算で退社している。出版業界への転身の理由はわからないが、父が学者の傍らで丙午出版社を興し、仏教書をはじめ、宗教・哲学・倫理・道徳の本を多数出した出版人でもあったことが関係しているのかもしれない。
戦後も酣燈社の設立に際して入社、代表社員、編集部長兼業務部長などを歴任したが、24年学風書院を創業して独立。27年実業家のち政治家として自民党の派閥領袖ともなった藤山愛一郎の処女出版である自叙伝『社長ぐらし三十年』を出版し、これが学風書院初のベストセラーとなった。33年不渡りを出してその後再出発してからは出版点数が減り、「国会図書館サーチ」の検索結果を見ると、39年に出した自著『癌の百科事典』が最後の出版物となる。編集長を務めた健康情報誌『主治医』の創刊が36年、どの時代から編集長を務めていたのかは現物を確かめないとわからないが、創刊編集長と仮定してみると、健康法方面に進出して書籍出版から離れたのではないかと思われる。

 

■『著者と出版社』

筆者が学風書院の名を覚えていていたのは、山崎安雄『著者と出版社』(昭和29年)、『第二 著者と出版社』(昭和30年)2冊の版元としてである。同書は「岩波書店と安倍能成」「中央公論社と谷崎潤一郎」「筑摩書房と太宰治」といったように、出版社とその代表的な著者を組み合わた短めの出版社列伝で、もとは取次・日本出版販売(日販)の『日販通信』に連載されたもの。よく知られた出版社はともかく、「宝文館と菊田一夫」「博友社と相良守峰」「さ・え・ら書房と勝見勝」「福村書店と服部之総」といったあまり資料がない出版社のものが有り難い。今回の記事を書くために目次を見返してみると、「学風書院と藤山愛一郎」があるではないか! 本書によると「学風書院」という社名は血清学者・医学史学者の緒方富雄の命名により、処女出版は有沢広巳『経済政策ノート』だという。

明治三十九年の創業から約三十年、丙午出版社の経営を実際に担当してきた松枝伯母さんが亡くなったとき、厳父米峰氏は、昭和九年のある日、高嶋さんたち四人のわが子を呼んで「伯母さんが死んでしまったので、忙しい自分としては、丙午出版社を今後つづけてやって行くことはとてもできない相談だ。しかし出版業は公共事業でもあって天下の公器なのだから、自分だけの都合で廃業したり、勝れた出版物を散逸させては申訳ない。幸い仏教関係の出版にゆかりのある明治書院で引きうけてくれるというので、お父さんはきょう話をきめてきたのだが、もしお前達のうちで将来出版業をやって行きたいと思うものがあるなら考え直してもよいのだが……」
こういわれても、出版業界の苦しい楽屋ウラをいやというほど見せつけられてきた高嶋さんには「将来、この道をやろうなどとはその時、夢にも思っていなかった。むしろ出版なんか真平御免という気持だったから、そのまま丙午出版社が明治書院に合併してゆくのをさしたる感動もなく見送ったものである。」
それから十五年、高嶋さんは東宝の文芸部を経て、中央公論社にはいったのが縁となって、いつしか出版で独立する決意をかためるようになった。いうまでもなく丙午出版社の再興である。

『著者と出版社』p166-167

なるほど。

ちなみに『笹に憑かれて』に、この『著者と出版社』についての言及があった。

出版文化の研究家として業界のすべての人に親しまれている毎日新聞図書出版部の山崎安雄氏の「著者と出版社」という著書は昭和の出版界のうらとおもてを知る上に唯一無二の貴重な文献となり、今だに注文のある生命の長い本である。今日ではそんなことはなくなったろうが、且て出版関係の本というものは損をするというジンクスがあった。たしかに「著者と出版社」第一、第二とも儲らず、第三以後の出版はストップせざるを得なかった。勿論山崎さんにも印税は滞ったままである。

『笹に憑かれて』p27

……ひどい。

 

■実は崔承喜の本も

「国会図書館サーチ」での高嶋の著書の検索結果によると、高嶋は健康法の本以外も書いていた。それが“半島の舞姫”と呼ばれた朝鮮人女性舞踊家・崔承喜に関する本で、彼の処女著作こそ『崔承喜』(昭和34年、学風書院)であった。何か書かれているかもと、没後に刊行された高嶋雄三郎・鄭昞浩の共編著『世紀の美人舞踊家崔承喜』(エムティ出版、平成6年)を図書館から借りてきた【図2】。高嶋へのインタビューを読み始めるとすぐに「今日、こうして私と高嶋先生の共通の若い友人である金容権さんに案内してもらって……」とあるのに仰天。金さんは弊社創業者・藤巻のお仲間で、何度か会社に遊びに来て、私も面識があるからだ。
さっそく藤巻に「こんど高嶋雄三郎という出版人について書こうとこの本を借りてきたのですが、ここに金さんの名前が出てくるんですよ」。「高嶋さん? オレ会ったことがあるよ。『崔承喜』の本を復刻した。そこら辺に残ってないかな?」「え、じゃあ、むくげ舎というのは……」「あと、高嶋さんは松寿仙という薬にも関係していたよ」。……意外なところで人は繋がっているものだなあ。そしてやはり松の人だったのか。

【図2】『世紀の美人舞踊家崔承喜』

 

○高嶋雄三郎(たかしま・ゆうざぶろう)
学風書院創業者
明治44年(1911年)10月2日~平成5年(1993年)6月27日
【出生地】東京市小石川区小石川原町(東京都文京区)
【学歴】法政大学文学部国文科〔昭和10年〕卒
【経歴】仏教学者・高嶋米峰の三男で、長兄は動物学者の高島春雄、弟は蔬菜園芸学者の高嶋四郎。誠之小学校、府立五中を経て、法政大学文学部国文科に進むと演劇に開眼し、黎明座、第七劇場を旗揚げ。卒業後は東宝劇場文芸部、日劇舞台監督、東宝宝塚撮影所演出部を経て、昭和14年中央公論社に入社。調査部、出版部に所属し、19年『中央公論』に移るが、同年弾圧による会社清算で退社。戦後、酣燈社の設立に際して入社、代表社員、編集部長兼業務部長などを歴任して「学匠選書」などを発行する。24年学風書院を個人創業、社名は血清学者・医学史学者の緒方富雄の命名で、処女出版は有沢広巳『経済政策ノート』。27年株式会社に改組。同年藤山愛一郎の処女出版である自叙伝『社長ぐらし三十年』が初のベストセラーとなったが、33年不渡りを出し、有限会社東京学風書院として再出発。34年自社よりかつて交流のあった朝鮮人女性舞踊家の評伝『崔承喜』を自分の処女作として出版。その後、熊笹の青汁健康法に凝り『第三の漢方』『笹に憑かれて』を、さらに松葉健康法に進んで『松葉を食べよう』『長寿の秘訣 松葉健康法』などを著す一方、健康情報誌『主治医』編集長に就任した。令和4年『長寿の秘訣 松葉健康法』がヒカルランドから復刊される。日本の松の緑を守る会常務理事。他の著書に『松竹梅健康法』『松』『日本女優史』などがある。
【参考】『第三の漢方』高嶋雄三郎〔著〕/学風書院/1961.11、『笹に憑かれて』高嶋雄三郎〔著〕/学風書院/1963.5、『出版書籍商人物事典』帆刈芳之助〔著〕・金沢文圃閣編集部〔編〕/金沢文圃閣/2010.8

 


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