第29回 滋賀県の歴史・文化を発信するサンライズ出版小史
河原努(皓星社・近代出版研究所)
■事実上の社史である図録をいただく
クラウドファンディングで話題を呼んだ滋賀県長浜市の江北図書館、その駐車場で令和5年(2023年)10月9日に開催された「きのもと秋のほんまつり」より帰ってきた社長の晴山から「これ、サンライズ出版の竹内さんから預かってきましたよ」と1冊の本を手渡された【図1】。本のタイトルは『岩根豊秀の仕事場 孔版画に映し出された湖国のモダニズム』(サンライズ出版、平成19年)。平成19年(2007年)に滋賀県立美術館「ギャラリー」で開催された「岩根豊秀の仕事場――孔版画に映し出された湖国のモダニズム――」の図録であり、滋賀県の地元出版社・サンライズ出版の事実上の社史である。
時は一年前にさかのぼる。令和4年の神保町ブックフェスティバルに関西の出版社さん数社が出店する際、弊社の一室を在庫置き場に提供した。そのとき名刺交換した方々の中に竹内さんがいらっしゃった。ちょうどその直前に岩根豊秀を増補改訂中の『出版文化人物事典』に立項しようと、国会図書館で『岩根豊秀の仕事場』のコピーをとったところだった。それで「(年譜のコピーをみせながら)私は近代日本出版史上の人物に興味を持っていて、自社のメールマガジンで連載を持っています。それで近いうちに御社の創業者である岩根豊秀について取り上げようと思い、国会図書館でコピーを取ってきたばかりなんです」と自己紹介すると、竹内さんは「えー、そうなんですか。その本、まだ在庫がありますので機会があればお送りしますよ」と言ってくださり、一年ごしで私の手元に届いたのであった。
【図1】『岩根豊秀の仕事場』
■『地方・小出版事典』がきっかけで
どうやって岩根の存在を知ったのかといえば、私の古巣・日外アソシエーツの『地方・小出版事典』(平成9年)がきっかけである【図2】。この本は全国47都道府県の500社にアンケートを行い、「名称」「所在地」「TEL」「FAX」「ホームページ」「e-mail」「創立年月」「組織」「人数」「概要」「代表者」「定期刊行物」「主な出版物」「受賞歴」「流通・販売」などの項目を掲載した事典で、前記のデータの内、「代表者」「創立年月」「概要」「主な出版物」といった項目を整理すれば、あっという間に人名事典の項目が出来るという寸法。『出版文化人物事典』は物故者を対象としており(=生存者は除外)、これらのデータの中から物故者を洗い出して見つけた一人がサンライズ出版創業者の岩根であったというわけだ。
この『地方・小出版事典』、実は類書が無い。そもそも出版社の基礎的な細かな情報をまとめた本はほぼ存在しない。直近の類書は、金沢文圃閣から『高度成長期の出版社調査事典』(全8巻)として複製が出た『出版社要録』『出版社調査録』だと思うが、昭和30~50年代にかけてのもので、それも大手出版社が主である。そのため、地方や小出版についてこれだけ網羅的に(500社!)、それもアンケートという一次資料の集積として作られている『地方・小出版事典』はたいへん有用な本だ。日外アソシエーツはよく「○○博物館事典」としてアンケートものの事典を出しているので、30年ぶりに『地方・小出版事典』の続編を出してもらいたものである(注1)。
【図2】『地方・小出版事典』。定価は14000円+税
注1 まあ、アンケートものの大変さは『現代日本執筆者大事典 第5期』その他に関わった元社員として重々承知しておりますがね……。
■孔版画家・岩根豊秀は印刷・出版業経営者
岩根豊秀、旧名・吉太郎は、明治39年(1906年)滋賀県鳥居本村(現・彦根市)の生まれ。鳥居本は雨具の合羽製造が花形産業で、岩根の生家も江戸時代から続く合羽製造販売の商家であった。大正7年(1918年)尋常小学校を卒業すると絵画の勉強を志したが許されず、家業を手伝うことになる。青年団活動や養鶏事業などに携わる中で、地元・滋賀県発祥である謄写印刷(孔版印刷)に情熱を燃やすようになり、度々上京して講習会に参加。昭和5年(1930年)24歳で滋賀県初の謄写印刷業者であるサンライズスタヂオを設立した。
戦時中は特殊技能者として要図・製図作成のための軍属として八日市飛行場に勤務、最前線に赴かずに済んだ。25年名前を吉太郎から豊秀に改名。戦後も商業美術家として活動する一方で、地元の文化活動にも積極的に関わり、様々な足跡を残した。モダンなポスター、チラシ、年賀状などの商業美術作品は前述の図録『岩根豊秀の仕事場』にまとめられている【図3】。
【図3】手がけたポスターなど
■印刷所から出版業に進出
やがて謄写印刷の時代は去り、サンライズもタイプオフセット印刷へ移行する。主な得意先は官公庁だったが、仕事の繁閑の差が激しく苦慮していた。そんな1970年代前半、文集印刷で成果を上げている同業者の話を耳にした豊秀は文集付きの卒業アルバムの仕事を始めた。仕事の少ない1月の仕事は有り難く、豊秀はその延長線上にある自費出版の需要に着目し、昭和48年(1973年)社内に地方部を設置した。地元では年賀状や謄写印刷で知られていたが、自費出版は全国からの受注を目指そうという構想のため“地方部”という名称を用いたのである。高齢者向け雑誌に広告を出して自費出版の受注を展開、55年頃には第一次の自費出版ブームで同社の柱は自費出版に移りつつあり、地方部の名称を出版部に改めた。
56年に豊秀が亡くなった後は長女の順子が後を継ぎ、57年サンライズ印刷株式会社を設立。平成元年(1989年)江南良三著『近江商人列伝』から書店での販売を始め、同年県内情報誌『DUET』を創刊。6年淡海文化を育てる会発足とともに積極的な出版活動を開始、近江の文化を伝える「淡海文庫」「別冊淡海文庫」などを発行する。15年サンライズ出版株式会社へ社名変更し、現在も盛業中である。この辺りは同社ウェブサイトの「会社案内」に詳述されている。
印刷と出版は隣接している業界で、これまでの本連載で取り上げた二見書房(第17回)、連合出版社(第20回)を始め、印刷業から出版に進出した出版社もまた多い。その意味で印刷史方面からの出版社史研究もあって然るべきで、同じ問題意識から印刷業界誌を出版社史・人物史の観点で見直す必要も痛感しているのだが、私の手には余る。誰かやらないですかね。
本連載はすでに無い出版社を取り上げることが多く、人名事典への立項と資料紹介を主としているため、基本的に取材はせず、手元にある活字資料のみで書いている。今回はご縁があり、2代目社長の岩根順子さんに記述内容に間違いが無いかご確認を頂いた。どうもありがとうございます。
○岩根豊秀(いわね・とよひで)
旧名=岩根吉太郎(いわね・きちたろう)
サンライズ出版創業者 孔版画家
明治39年(1906年)7月21日~昭和56年(1981年)2月25日
【出生地】滋賀県坂田郡鳥居本村(彦根市)
【学歴】鳥居本尋常小学校〔大正7年〕卒
【経歴】生家は江戸時代から続く合羽製造販売の商家。大正7年鳥居本尋常小学校を卒業、絵画の勉強を志したが許されず、家業を手伝う。青年団活動や養鶏事業などに携わる中で、滋賀県発祥である謄写印刷(孔版印刷)に情熱を燃やすようになり、度々上京して講習会に参加。昭和5年24歳で滋賀県初の謄写印刷業者であるサンライズスタヂオを設立。戦時中は特殊技能者として要図・製図作成のための軍属として八日市飛行場に勤務、最前線に赴かずに済む。25年名前を吉太郎から豊秀に改名。戦後も商業美術家として活動する一方で、地元の文化活動にも積極的に関わり、様々な足跡を残した。モダンなポスター、チラシ、年賀状などの商業美術作品は『岩根豊秀の仕事場 孔版画に映し出された湖国のモダニズム』にまとめられている。1970年代に自費出版に着目して全国から仕事を受注、印刷業から出版業に進出。没後、後を継いだ長女の岩根順子が積極的に出版活動を展開、平成15年社名をサンライズ印刷からサンライズ出版に改めた。
【参考】『岩根豊秀の仕事場』サンライズ出版【編】/サンライズ出版/2007.7
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