皓星社(こうせいしゃ)図書出版とデータベース

第2回 『書目月報』(此村彦助)と『日本図書月評』(博文館)

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飯澤文夫(元明治大学図書館)

 

『書目月報』 此村彦助(大阪)

明治23(1890)年2月頃創刊

 我が国の出版PR誌の嚆矢は、明治30(1897)年3月創刊の、丸善『學の燈』(現在の『學鐙』)とするのが出版界の定説になっている。書物随筆や書評などの読み物を前面に出し、書物誌としてのスタイルを確立した。この形は、昭和13(1938)年創刊の岩波書店『図書』が採用し、現在の筑摩書房『ちくま』などに踏襲されている。だが、PR誌の体裁は様々で、明治期には、出版・販売目録形式のものが多くみられる。
 『書目月報』もその一つである。確認できる最も古い第2号(明治23.3)は、菊半截判、本文16頁で、前年12月出版の吉竹英一『学理応用実地経験改良酒造実益法』の目次と解説、そのほかの新刊書の紹介、また、他社出版物の発売書目からなる。出版社が自社の店頭で、提携した他社の出版物を売り捌くのは、江戸時代の名残りである。写真の1冊は第26号(明治25.3)で、判型は一回り大きい半紙半截判(ほぼ現在のB6判)になり、本文72頁、構成は第2号と同様だが、「内外書籍及稗史小説発売書目」頁が全体の半数近くに及んでいる。
 発行人の此村彦助は、明治8(1875)年から40(1907)年頃にかけて、大阪心斎橋通りなどで藜光堂、此村藜光堂、書肆此村ほかを名乗り、仏教、易学、測量、地図、養蚕、料理、書道、生花、漢籍、児童節用ほか幅広いジャンルの出版と書店経営をしていた。同じ大阪の此村庄助と共同出版した書籍もある。庄助は明治5(1872)年に欣英堂・黎明書院を創業し、出版、取次、地球儀製作販売を行っていた。同族あるいは兄弟と推測される。
[所蔵] 東京大学近代法政史料センター明治新聞雑誌文庫 第2,8,16,21,26号
[参考] 『日本出版大観』(出版タイムス社 1930)

『日本図書月評』 博文館

明治27(1894)年7月25日創刊
 明治20(1887)年に大橋佐平が創業した博文館は、申すまでもなく、戦前期の我が国最大の出版社である。同社からは創業10周年目の明治30年8月に『日本図書月報』、34年7月には改題して巻号も改めた『図書世界』が出されている。その前誌と思われる。
 創刊号は、菊判で、読み物が24頁、「博文館発兌自廿七年一月至廿七年六月半期新刊図書目録」が20頁、そのほか頁付けのない新刊広告頁と表紙を合わせて総48頁である。読み物は、巻頭に[論説]として「発行の趣旨」を掲げ、以下、江戸時代の文人柳澤棋園の「書籍を大切にせし佐伯某の事」や、林子平の「学者の弊」などの書物・読書論を転載する[文苑]及び[叢談]、新聞掲載の書評を集めた[批評]、新刊雑誌を紹介する[雑誌世界]、文化関係の動向を記した[文界時事]からなる。
 「発行の趣旨」は<昭代の徳化寰宇に普ねく、山村水郭の辺陬に至るまで、庠序の設け備はり>と格調高く始まり、次のように記している。誰もが読み書きができるようになり、それによって出版も盛んになったが、汗牛充棟で選択に迷う。選択に迷えば金も時間も無駄にし、無用の書を読むことでかえって害もある。そこで本誌を発行することにした。<其目的とする所は、新刊図書を世に紹介し、極めて深刻の批評眼を以て、細かに良否を判別し、最も褒貶を慎しみ、能く世の読書家をして採択の指鍼と為さしめんと欲するにあり。亦是れ文運の盛を翼賛するの微意なり。>と結ぶ。これだけ読めば、一般の読書雑誌あるいは書評誌のように感じられるが、[批評]と[雑誌世界]で取り上げた出版物はすべて博文社刊行のものである。
[所蔵] 国立国会図書館 1-第2巻第7号(明治28年7月) *書影も同館蔵本
[参考] 飯澤「続PR紙誌探索(2)」(『日本古書通信』第1078号 日本古書通信社 2019.5)

 


飯澤文夫(いいざわ・ふみお)

1949年長野県辰野町生まれ。元明治大学図書館勤務。長く名著出版『月刊歴史手帖』、岩田書院『地方史情報』で地方史研究雑誌の目次情報を整理・編集し、平成11年より『地方史文献年鑑』(岩田書院→白鳥舎→日外アソシエーツ)を刊行する。編著に『飯澤文夫書誌選集』(2015)『飯澤文夫書誌選集II』(2016、ともに金沢文圃閣)などがある。