離宮司書の優雅な生活?! 国会図書館員のいい時代――この目で見る図書館稼働史③
小林昌樹(『近代出版研究』編集長)
■古書展でアルバムを拾う
2011年、とある週末古書展の目録を見て腰を抜かした。というのも「世紀の大移転」、今の国会図書館(NDL)東京本館=「新庁舎」に1961(昭和36)年、数百万冊の本を蔵書移転させる状況を撮った写真アルバムが出品されていたからだ。だが、20万円で手が出ない。さすがにそうそう売れないだろうと思って会場へ行ったら、なんと売れたという(九州方面の某氏の手中に収まったと何年か後に知った)。
同時期、ツイッターで古本者たちのやりとりを見ていたら(たしか岡崎武志氏と痕跡本の人)、南部古書会館(五反田)の週末古書展に大量の写真アルバムが出品され、それにNDLが写っているものがあるという。さては……。
あわてて五反田へ出動した。
【図1】2011年に古書展へ出た写真アルバムの一部

■Bさんは写真趣味
果たして数十冊ほど古い写真アルバム【図1】が並んでいた。そこからNDL成分の多いものを9冊ほど、はたき落とすようにして買った。さすが古本屋さん、NDL成分の多いものは2000円、ポートレートや花鳥風月ばかりで成分のない(少ない)ものは500円。
中を見ると、撮影者は高度な写真趣味のNDL職員らしい(仮にBさんとしておく)。いくつかのものが「組み写真」(一定のテーマで数枚の写真を構成)になっており、なにより説明文が綺麗にレタリングで書き入れられている。私のような図書館史趣味者にとってヨダレが出るほど嬉しいのは、キャプションとセットで写真が貼られていることだ。写っている場面が図書館がらみかどうか判別できる。【図2】は「パン食い競争」(戦後の風物)などが写っているただの運動会だが、これにキャプションが付いているので1954年9月23日に開催されたNDL第7回運動会であるとわかる。そういう前提で分析的に見ると、右上写真の背景に見える建築物から会場は赤坂離宮の裏庭であるともわかる。
1995年ごろだったか、現業上がりの同僚K松さんに、離宮の運動会写真を見せてもらったことがある(もちろんアルバムに貼られていた)。K松さんは「官車」の運転手だったのでバイクにまたがりカミナリ族の扮装をし、定年間近のN田さんが桃太郎の扮装で可愛くて驚いたが、もう二度とその写真を見ることはないだろうし、見ても同時代人の口頭説明がないと(写真の)意味がわからない。しかしこのようにキャプション付きならば意味をなす。
【図2】「国立国会図書館第7回運動会」(1954年9月23日)

■組み写真「登庁時刻」
秀逸なのは1955年のアルバムに貼り込まれていた5枚の組み写真「登庁時刻」。見開き右どなりの「百合の木並木の秋」数枚とセットらしく1955年秋の撮影と考えていいだろう。国鉄・四谷駅からほど近いバス停「国会図書館前」【図3】から組み写真が始まる。
なぜこんな題材をBさんが設定したのか。おそらく、門をくぐってから職員の通用口まで5分以上歩かないと行き着けないところから着想したのではないかと私は思う【参考図1】。
【参考図1】「本館・三宅坂分館連絡略図」より部分(『国立国会図書館利用のてびき』から)

さらにまた、舞台が本物の宮殿、赤坂離宮だったこともBさんの撮影意欲を掻き立てたように思われる。オスカルもマリー・アントワネットもいないが、かのベルサイユ宮殿を模して作られた本物の宮殿である。離宮時代の図書館員生活にはあこがれちゃう。
そこで、ちょっとみんなと一緒に当時のつもりで登庁してみよう。
■バス停から出勤簿まで突撃!
1955(昭和30)年秋のある朝、都バスを「国会図書館前」で降りる【図3】。国電の四谷駅から5分くらいだが、このバス停がいちばんNDLに近いんだ。停留所名を見るといつも、世間は「国会図書館」としか呼ばないなぁと思う。実は、館内的には職員組合を中心に〈国会図書館はどういう意味で国立(中央)図書館なのか〉という議論が流行りで、だからだろうか、「中の人」は「国立国会図書館」と書き言葉では「国立」を略さない傾向なのだ。
【図3】バス停「国会図書館前」

ここから正門【図4】を入ってからが結構長い。300メートルくらいだろうか。
【図4】離宮の正門

正門をくぐっても、しばらく歩かないと建物に行き着けない。朝の出勤時はみなぞろぞろと正面の通路を歩く【図5】。登庁者の列が見えるが最後尾はけっこう向こうだ。腕時計を見ると時間ギリギリ。おおーい、待ってくれぃと小走りに走り出す。
【図5】離宮内を歩く人々(おそらくNDL職員)

離宮の中央から東半分(画面では左)を図書館が使用していて、右は法務庁や弾劾裁判所。中央の正面玄関は利用者用入口になっており、職員の通用口【図6】はいちばん左の端に設定されているのだ【参考図2】。
【図6】「職員出入口」から入っていく職員

【参考図2】「国立国会図書館平面図(昭和24年3月31日現在)/一階」(『国立国会図書館年報 昭和23年度』より)
おおむね1階は事務スペース、2階が閲覧スペースに設定されていた。

出入口では続々と職員が入って来て、「出勤簿」に印鑑を押していく【図7】。自分もハンコを押さなければと「昭和三十年度 一般考査部」と書かれている出勤簿を開けて、自分の出勤簿用紙に押印。だからいつも出勤時にはハンコを持っているよ。まぁハンコを忘れても、名前を書き込んで後から押印できるよう、仮の出勤簿も台に用意されているけれど。
【図7】「職員出入口」で出勤簿に捺印する職員

と、押印していたら監視のおじさんが戸を閉め始めた。けれど、やけにゆっくり閉めている。外を見ると、あれあれ、走ってくる人がいるよ。
そういや、走っている人が出入口から見えている間は、戸は閉まりつづけるのだ、ってな話を聞いたなぁ。
【図7】「職員出入口」からギリギリ飛び込む職員

飛び込んできた人は吉田さんだ。開館翌年に支部図書館部の考査奉仕課に入館した人だね。バツが悪そうに笑ってる。
あきらめて歩くと戸が閉まっちゃうんだけど、古本仲間の稲村徹元さんによると実は裏技があるそうな。中央正面の利用者用入口を突破し、出勤簿を人事課まで運ぶ途中の廊下で任用係員を捕まればOK。たまに厳しくて押印させてくれない人もいるんだけどね。
(この項終わり)
■運動会における中井正一
上記のように、毎日のルーティン、その始まりの登庁風景をこの目で見られるというのも楽しい。当たり前すぎる風景は写真に撮られない。ちなみにこの組み写真「登庁時刻」については2011年ごろ、NDLのいわば一期生だった稲村徹元さんに見せながら解説してもらった。走っている人がいる間は戸が閉まり続けるといった珍情報は、さすがにアルバムのキャプションになく、稲村さんの回想によるもの(写っている人物の同定も)。しかし、写真を見て出勤簿の形式が大昔から同じだったことには驚いた。
あまり有名でない人ばかり追いかけるとなんなので、今度は有名人を出してみよう。やはり同じ運動会だが1951年9月の組み写真。その最後に出てくる一枚がこれ。
【図8】中井副館長

キャプションが付いている。「運動会閉会の辞…といたしましては/まことに これが中井副館長の/最後のものと なつたのであります」とあるので、初代副館長中井正一の晩年の姿である。中井は参議院側の初代〈館長〉候補で、戦前の左翼運動が衆議院側に嫌われて、衆参の妥協案として副館長になった人。ただ、館長の金森徳次郎と中井の仲は悪くなく、金森が外部PRや国会対策などを担当し、中井が内部管理や図書館業界対応などをして首脳の任務をうまく住み分けていた。
「これが中井副館長の最後の」とあるので、おそらく毎年、運動会の閉会の辞は中井正一副館長が担当していたのだろう。若い職員はみんな組合運動にとても熱心だが、その情熱を一部でも新しい図書館の運営に回してくれたら、と言っていた中井であった。副館長中井の最大の功績は「支部図書館制度」の確立だろう。省庁を超えた「支部図」ネットワークという「図書館システム」は昭和30年代まで日本の図書館業界をリードしたものだった。
■第3代副館長・岡部史郎
初代副館長の中井は1952年に病没する。その後、文部官僚出身の中根秀雄が第2代副館長になるが、彼は初代館長金森徳次郎ともどもNDL外郭団体の「春秋会事件」で死期を早めてしまった。事件の収拾をつけるため行政管理庁から呼ばれたのが第3代副館長・岡部史郎で、1959年から70年まで長きにわたって副館長を勤めた。本人はどうやら館長になりたかったようだが、衆参の事務総長が天下り館長になる慣例ができるなかで、かなわなかった。その岡部の姿も運動会に写っている。【図9】右上写真の壇上の人物。1959年と60年は館長「大空位時代」なので、開会の辞、閉会の辞、どちらもやったのだろうか。
【図9】「第10回国立国会図書館運動会」(1959年9月29日(火))

■アーキテクチャとメンタリティ
国会附属なのに国会のそばに本館がなかった時代が赤坂離宮時代であった。赤坂本館の他に同等以上の対抗勢力として上野図書館(旧帝国図書館)も厳然としてあった。アルバムを通覧するとBさんは「上野グループ」(私の入館時、1990年代にはまだあった)との付き合いは全くなかったように見える。そしてより国会附属的な「三宅坂分館」。この「三館体制」時代の赤坂の雰囲気が今回紹介した写真アルバムからなんとなくわかるだろうか。
どうも離宮時代のNDL職員は、Bさんをはじめ文化人っぽい人が多かったようだ。初代副館長中井がなげいたように、当時、日本図書館史上唯一の産業別労働組合「全日本図書館員組合」が結成されるなど(金沢文圃閣から『資料集戦後占領期の「全日本図書館員組合」資料』が最近出た)、泥臭い動きも盛んだったのだが、離宮の人々はエジプトの間でクリスマスパーティーなど開いて楽しそうである【図10】。この時代の離宮生活は江崎誠致の『離宮流(りきゅうる)』で描写されている。
【図10】「エジプトの間のChristmas Party」(1951年12月)

もっとも、当時、NDL館内いろはカルタに「良家の子弟は組合屋」というものがあったように(『菊地昌典追悼集』)、「ベルばら」のオスカルよろしく、高級文化と左翼運動は親和的な側面もあり、離宮という文字通りのアーキテクチャに支えられたメンタリティというところだろう。私が入館した1990年代にこういった文化はもう絶えていたが。
■この連載は
これまでの帝国図書館絵はがき、国会図書館絵はがき、そして今回の写真アルバムの記事はまとめて今年の夏コミ(コミックマーケットC108)で出す『国会図書館か国民図書館か(増補改訂版)』に掲載予定です。

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小林昌樹(こばやし・まさき)
1967年東京生まれ。1990年と92年、慶應義塾大学文学部を2回卒業。2021年国立国会図書館を早期退職し、近代出版研究所を設立。『近代出版研究』編集長。近代書誌懇話会代表。現役時代の秘伝テクニックを盛り込んだ『調べる技術』がヒット。それを応用して書いた前代未聞の『立ち読みの歴史』は五大新聞紙すべてで紹介。専門は図書館史、近代出版史、読書史。
