特別寄稿 新年、韓国からの便り 戒厳事態を発端とする韓国市民の動きについて 金暻和 (メディア人類学者、『二代男と改革娘』共著者)
金暻和
(韓国在住のメディア人類学者、『二代男と改革娘』共著者)
はじめに
2024年12月3日深夜、韓国で45年ぶりに突如宣言された「戒厳令」。尹錫悦大統領はその理由に「反国家勢力」を挙げ、国内の秩序を守るためだと主張しました。冬の真夜中の国会にすぐに駆けつけ解除要求決議案を求める国会議員や、武装して国会前を封鎖しようとする警察と必死に抗議する市民の姿は、日本の私たちにとっても非常にショッキングな光景であると共に、「民主主義とは何か?」という問いを突きつけてくるものでもありました。日本による植民地統治から解放された第二次世界大戦後も、韓国はアメリカとソ連の対立に巻き込まれる形で北と南に二分され、その後も長い軍事独裁が続いた歴史を持ちます。はからずも秋には、韓国の近現代史とそこから立ち上がる人々の力強さを描いてきたハン・ガンさんがノーベル文学賞を受賞しました。かつて戒厳令下で起きた光州事件などの痛ましい歴史を踏まえ、今韓国の人々は何を考え、どのように声を上げているのでしょうか?
昨年9月、韓国のメディア研究者である金暻和さんと文化人類学者の林史樹さんによる対談本『二代男と改革娘 日韓の人類学者が韓国を語ってみた』でも、韓国における政治参画を様々な方面から語っていただきました。今回は著者のお一人であり、ソウル在住の金暻和さんに、まさに激動の1ヶ月を辿る韓国のリアルなムーブメントの様子をお伺いします。(編集部)
混乱する韓国政治、市民社会の怒り
昨年12月3日夜、韓国の尹錫悦大統領による「非常戒厳」の宣布以降、韓国社会が一寸先も見通せない混乱に陥った。戦争や事変などの重大な非常事態がない中での非常戒厳の宣布は、与野党議員により直ちに「違法」と定義され、その深夜に解除が決議された。その後、尹大統領は弾劾訴追され、職務停止となった。1月5日現在、憲法裁判所(日本の最高裁判所に相当)で弾劾可否の審議が進行中で、裁判官9名中6名以上が弾劾の妥当性を認めると、大統領は罷免となる。一方で、尹氏には内乱首魁の疑いで逮捕状も出されている。
・写真1 昨年12月7日、尹氏の弾劾可否が議会で票決にかけられた時、釜山都心で行われた市民大会の様子、筆者撮影。
日本の読者の中には、隣国での唐突の異変に驚いている方が多いだろう。韓国国内でも、多くの市民が民主主義を根っこから揺るがす出来事にとても衝撃を受け、今後の政治的混乱や民主主義への不信感が増大するのではないかという深い懸念を抱いている。今回韓国での出来事を指す適切な言葉は、「self-coup」である。日本語では馴染みのない表現だが、「自己クーデター」と訳することができる。これは、現職の国家元首や政府のトップが、自らの権力をさらに強化するために、非合法な手段や武力を用いて既存の体制を内部から覆そうとする権力掌握行為を指す。尹氏が非常戒厳令を口実に議員を逮捕し、武力で議会を解散させようとした事実が、調査によって明らかになりつつある。まさに自己クーデターの典型例だ。
非常戒厳宣布直後の調査によれば、大多数の市民がそれを民主主義に反する措置とみなしている。「内乱」と認識する市民も約7割に上る(注1)。
しかし、現在も尹氏は大統領公邸に引きこもり、少数の支持者向けに煽動のメッセージを発信し続けている。道徳的、法的責任を拒否する彼の態度に対して、多くの市民が強い怒りを抱いている。
新しいデモの文化、ペンライトを持ち上げる「改革娘」
・写真2 大統領公邸付近で行われた尹氏の逮捕・罷免を求めるデモの様子。画像はソウル都市交通情報センターが提供する交通情報CCTV。画像上部が江南方面、下部が都心方面(2025.1.4. PM6:25 筆者による)。
混乱の中でも、市民社会が迅速に行動を起こしていることは救いである。非常戒厳宣布の当夜、深夜にもかかわらず、多くの市民が国会議事堂のある汝矣島に駆けつけ、堂内に立ち入ろうとしている軍隊に立ち向かった。また、尹氏の弾劾訴追案が議会で票決にかけられた12月14日には、100万人以上の市民が国会付近に集まり、一部の与党議員が尹氏を擁護することに抗議の声を上げた。現在も尹氏が「籠城」している公邸周辺では、退陣を求める大規模デモが連日続いている。政治的混乱は続いているものの、韓国の人々が比較的動揺せず日常生活を過ごしている背景には、民主主義の回復のために行動する市民に対する信頼がある。
こうした動きの中で、特に若い女性たちの存在感が際立っている。非常戒厳が宣布・解除された直後の週末(12月7日)に国会議事堂前で大規模デモ(推定参加者延べ130万人)が行われた。当時の通信データによる分析では、参加者には女性(59%)が男性より多かった。年齢別では50代(23.8%)と20代(22.1%)の参加が目立ったが、中でも20代女性(18.9%)が最多であり、20・30代女性が参加者の3割を占めた(注2)。
昨年皓星社から刊行された単行本 『二代男と改革娘 日韓の人類学者が韓国を語ってみた』でも、リベラルな政治勢力として台頭した韓国の若い女性たちを取り上げた。 「改革娘(韓国語では「개딸」=「改革の娘」の略)」と呼ばれる彼女らは、インターネットやSNSを上手に活用しながら、ジェンダー問題やマイノリティーに関するイシューなどについて声をあげている。尹氏の弾劾を求める大規模なデモにおいても「改革娘」たちの活躍が目立つ。
・写真3 1月2日夕方、ソウルの光化門付近の広場で行われたデモの様子、筆者撮影。
市民の集団行動が大衆文化と結びつき、パフォーマンス性やエンタテインメント性を帯びることは、21世紀のデモ文化の特徴である。 韓国ではこれまでにも、政治的メッセージを伝えるデモが、楽しい歌やパフォーマンスで野外の音楽フェスティバルのように盛り上がることがよくあった(注3)。今回のデモでは、特にファン文化に親しむ女性の参加が増えるのに伴い、その傾向がさらに強まっている。
たとえば、K-POPの象徴であるペンライトがデモの道具に化している。カラフルなペンライトを持ち上げたデモ隊が合唱するのは、抗議や戦闘を想起させる歌ではなく、女性アイドルグループ・少女時代の 「また巡り会えた世界(다시 만난 세계)」といったK-POPの名曲である。さまざまな色のペンライトが広場一面を彩る様子は、政治集会というよりもコンサートのようだ。 市民が自主制作した旗には、「腹立った猫の連盟」、「全国末端冷え性持ち、集まれ」、「論文を書きながらも飛び出した人たち」など、ユーモアに満ちたフレーズが掲げられている。韓国のデモでは、市民運動団体の名前が書かれた旗がよく掲げられるが、今回はどの団体にも所属しない個人やSNSの呼びかけで集まった参加者たちの個性的で面白いキャッチフレーズの旗がとても多い。集会のステージでは、10代の女子中学生から老年のお爺さんまで、誰もが自由にスピーチを行う。内容も笑いを誘うエピソードから真剣な政治スローガンまで多岐にわたる。非常戒厳や大統領弾劾という厳しい現実に直面しながらも、デモ参加者たちの表情は明るく、前向きである。
・写真4 1月2日夕方、ソウルの光化門付近の広場で行われたデモの様子。旗には「ハリネズミ・猫共住み研究会」(ハングルは反転状態)と書いてある。筆者撮影。
厳しい現実を乗り越えようとする市民の連帯
さらに、「先払い」(선결제)という、新たな応援文化も注目されている。これは、デモ参加者のために飲食物やモノを事前に購入して提供する仕組み。 例えば、有名なシンガーソングライターのIUは、弾劾デモに参加するファンのために汝矣島付近のベーカリーや食堂、カフェなどで800食分のスナックと飲み物を「先払い」し、アイドルグループのニュージーンズのメンバーも500食以上を「先払い」してデモ隊を応援した。多くの匿名市民がこれを実践しており、デモ参加者たちは近くのお店に立ち寄り、無料の飲食物を手に入れたり、寒さをしのぐことができる。街に出られない人々はデモを応援でき、デモ会場近くの食堂やカフェなどが損失を被ることを防ぐ。多様性と開放性を重視するパフォーマンス型デモ文化が、新しい市民連帯を生み出している。
・写真5 1月2日午後、ソウルの光化門付近の広場で行われたデモの様子、筆者撮影。
韓国の民主主義が危機に陥っていることは紛れもない事実である。非常戒厳の首謀者である尹氏は職務を停止されたものの、弾劾の可否決定や正式な罷免、さらに新たな大統領の選出まで、民主主義の復元には時間がかかりそうだ。時々刻々更新される不具合な情報に圧倒されるよりは、デモに出た方が精神的に救われる。氷点下の寒さの中でも、同じ問題意識の仲間と共に立ち上がることで得られる連帯感があるからだ。デモに参加した人々は口を揃えて「楽しかった」、「癒された」と言うが、本当にその通りだと思う。厳しい現実の中にあっても、希望を見つける瞬間があるのだ。連帯する市民の力で民主主義の再生ができることを願うばかりである。
注1 リアルメーター(2024.12.5公表)『尹錫悦大統領の「非常戒厳」―弾劾賛成73.6%、反対24.0%』、 (http://www.realmeter.net/리얼미터-尹-대통령-비상계엄-선포-사태-①-탄핵/)
注2 京郷新聞 (2024.12.12配信)、『汝矣島の弾劾集会、「20代女性」が最も多かった…10名のなか3名は「20・30女性」』 、 (https://www.khan.co.kr/article/202412121503011)
注3 パフォーマンス型の新しいデモの文化については、韓国で刊行された単行本『21世紀デモ論 変化を導く愉快かつ騒がしい抵抗のメディア=21세기 데모론:변화를 이끄는 유쾌하고 떠들썩한 저항의 미디어, 데모』(金暻和・伊藤昌亮共著、2018年、ヌルミン)で詳しく紹介している。
金暻和(キム・キョンファ)
1971年生まれ。韓国在住のメディア人類学者。デジタル・メディアとネットワーク文化を研究する。ソウル大学の人類学科を卒業した後、韓国の新聞社の記者、ポータルサイトの事業開発担当を勤めた。2005年に来日し、オンライン・ニュースを作る日韓共同プロジェクトにも携わった。東京大学際情報学府で博士学位(学際情報学)を取得後、東京大学院情報学環の助教、神田外語大学の准教授を務めた。コロナ禍中の2021年に韓国に帰国し、日韓比較文化的観点からメディア研究を続けている。日本語の著書として、単著に『ケータイの文化人類学』(CUON、2016年)、『韓国は日本をどう見ているか』(平凡社、2024年)、共著に『ポストモバイル社会』(世界思想社、2016年)など。