京都帝国大学経済学部支那経済慣行調査部
『支那経済に関する主要文献目録』について
1 成立について
ここで『支那経済に関する主要文献目録』としたのは、そのような名称の目録がある訳ではなく、後に記す4種類の目録の総称として、筆者が便宜的に名付けたものである。
日本の中国侵略は、当初の速戦即決の意図に反して、中国側の強固な抵抗によって泥沼状態に陥った。戦争の長期化に対応し、占領地支配を維持していくため、日本は中国の実情を把握しようと、学術機関をも「聖戦」に動員した。
こうして、京都帝国大学経済学部内に組織されたのが「支那経済慣行調査部」であり、第1部(農業)、第2部(商業・金融)、第3部(鉱工業)に分けられる。そしてまず取りかかったのが、関連文献目録の作成であり、昭和15(1940)年12月の日付をもつ、以下の4種・11冊の油印本に結実する。
2 構成
『支那農業に関する主要文献目録』(第1部 担当:山崎武雄・白永興)
第一 邦文の部
第二 華文の部
第三 欧文の部
『支那商業に関する主要文献目録』(第2部 担当:斎藤一郎)
第一 邦文および欧文の部
第二 華文の部
『支那金融に関する主要文献目録』(第3部 担当:斎藤一郎)
第一 邦文および欧文の部
第二 華文の部
『支那鉱工業に関する主要文献目録』(第3部)
第一 邦文の部 (担当:前田勇太郎・上杉正一郎)
第二 華文の部 (担当:前田勇太郎)
第三 欧文の部 (1)(担当:岡本愛次)
(2)(担当:岡本愛次)
このうち、欧文は英・独・仏の各語で書かれた文献である。また『鉱工業目録』の欧文の()
(2)は前者が工業、後者が鉱業・労働などである。
3 収録文献の刊行時期
収録した文献が発表された期間は主として、邦文は大正年間から昭和14〜15年まで、華文は民国年間、欧文は1900〜1939年である(商業・金融は明記していない)。大正元年と民国元年はともに1912年であるから、邦文・華文はほぼ一致するが、欧文は約10年長い期間をとったことになる。
4 本文献目録の特色
さて筆者は、27、8年前の修士論文を作成する頃から、これらの目録を利用してきた。筆者の修士論文のテーマは「抗日戦争前の中国江蘇省無錫県における蚕糸業の発展と地主制との関わり」であった。地主制はもちろん『農業目録』を必要とするし、蚕糸業の中の桑栽培・養蚕も同様である。桑葉や蚕種・繭・生糸は商品となるから、『商業目録』を必要とする。また蚕糸業の中の製糸は工業であるから、『鉱工業目録』を必要とする。さらに農民金融から製糸金融まで、『金融目録』も必要となる。要するに、これらの目録類に全面
的にお世話になった。
これらの目録に収録されたものは、必ずしも元の文献にあたっているわけではなく、多くは他の目録などによっており、特に華文や欧文には、日本国内では入手できない文献も含まれる。とはいえ、他の類似の目録と比較しても、本目録の収録文献数は群を抜いていると思われ、かなり網羅的に収録している。例えば、『農業目録』では、周の井田制や魏の屯田制など、前近代の土地制度に関する論文までもが収録されている。
例によって、これらの目録から漏れた重要文献も決して少なくはない。凡例で一様に「他日の追補を期したい」等々とあるのも、この作業がかなり急いで行なわれたからにちがいない。したがって、当然のことながら、他の目録などと併用することになるが、その収録文献数の多さからしても、二十世紀前半の中国経済史を見直そうとすれば、本目録を手に取らねばならないことにかわりはない。
(おくむら・さとる 東京都立大学人文学部教授)
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