『隠語大辞典』を推す
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◆まさに〈隠語集成〉と呼び得る内容
大形の国語辞典にもない言葉の情報を提供
倉島節尚(大正大学教授)
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隠語というと裏の社会の言葉というイメージがつきまとう。確かにそういう言葉も多いが、身近な寿司やや古本屋にも特殊な用語があり、デパートの店員同士の言葉にもある。
普通の国語辞典は、一般の人が接するであろう語を対象としているから、限られた社会でしか使われない隠語は、原則として見出しに立てない。しかし、隠語もまた紛れもない日本語である。国語辞典が取り上げない語の代表格とも言うべき隠語を整理し、記録するところに、隠語辞典の確たる存在意義がある。
これまでにも隠語辞典の類はいくつか作られた。しかし、好事家的な視点の編集であったり、限られた範囲の語だけであったりして、隠語全体を見渡せるものはなかった。その点、この度刊行される『隠語大辞典』は、多方面
にわたる隠語が一覧できるのでありがたい。加えて、同音の隠語や多義の隠語が整理配列され、原資料が明示されていて、まさに〈隠語集成〉とも呼び得る内容を備えた辞典として編集されている。
大形の国語辞典にも載っていない言葉の情報を、『隠語大辞典』は提供してくれるのである。
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◆隠語礼讃
杉本つとむ(早稲田大学名誉教授)
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隠語とはかくしことばのことである。かくすとは公にせず私に秘することである。社会言語学的になどと大上段な物言いをせずとも、ことばが人間存在の要であるという自明の点で、隠語が人間の集団、同じコミュニティ内の共通
語として存在するのは当然である。床の間の置き物ではない。江戸時代でいえば、隠語が士農工商の階級方言、職業ことばとして存在し、同じ商でも魚屋と酒屋とはそれぞれ隠語、言語学的にいえば、〈通
語〉をもつ。また、民俗学的には日本人独自の発送や考え方、モノやコトのとらえ方、様式が根づよくかかわる。遠い昔、『延喜式』には血を汗といい、僧を髪長という忌み詞が記録されている。穢れの思想の一端をみる。おそらく、太古以来、隠語は存在し、日本人の存在するところ独自の隠語が創造されたと思う。また、階級方言のみでなく、男と女――これなど東西を問わず根源的な人間の営み――などの隠語も造形された。かってわたしは〈ことばの社会学〉として、〈お開き〉の語源的解を示したことがある。これなど『明徳記』にみえるように、中世武士の間より発した隠語であり、忌み詞である。お冷[ひや]し(水)や黄[き]な粉(大豆の粉)、お下[さが]り、糸糸[いといと](雨)、波の花(塩)など、俗を避け雅に徹する宮廷女房による感性の隠語である。お袋なども貴族・上流武家社会の御袋様に由来しよう。僧が酒を亡憂物、裸体を如来などと創作したのは、知の結果
である。狂言の入間[いるま]ことば、逆[さかさ]詞なども隠語である。中近世の辞典には多かれ少なかれ隠語が記録されている。
江戸吉原では、俺等[おいら]の姉女郎のオイラノが華麗にも花魁[おいらん]と化し、江戸市民に田舎女を女神と酔わす。江戸期刊の全国方言辞典、『物類呼称』には隠語がセンボウとかカスリという呼称で収録されている。そして隠語もまた一般
日常的に開放され、日本語を豊かにしたのである。
さて、『隠語大辞典』はこうした隠語の集成ではなく、既成の隠語集のしかも明治以降のものに限って再編集したわけである。しかし私見では隠語こそ日本語の本質、特質を顕著に語る、いわば日本語の陰影の美の見事な演出者だと思う。
本辞典は日本語の本質を探究するうえで、『広辞苑』などには見出せぬ
豊かな日本語の世界を描く。是非とも多くの日本人そして外国人も、机上に一本をそなえ、味読することを切望して推薦のことばにかえる。
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◆隠語こそまさに隠れた日本語の宝庫
野村雅昭(早稲田大学教授)
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隠語というと、何かいかがわしい言葉のように思う人がいる。事の性質上、やむをえないことではあるが、残念なことでもある。なぜならば、隠語こそまさに隠れた日本語の宝庫と言えるからである。最近は、若者言葉の収集や研究が盛んである。それを見ていると、日本語の造語力の豊かさが頼もしく思われてくる。それは、実は隠語にも共通
する豊かさなのである。
これまでに作られた隠語辞典は、ぼうだいな数に上る。それらの多くは、入手が困難である。近年、その復刻なども試みられるようになったのはありがたいが、すべてを尽くしているわけではない。また、それらを比較参照するのには、多大の労力を必要とする。幸いに、この『隠語大辞典』はそれを容易にしたのみか、各種の検索を可能にし、望むべき最良の姿となっている。それを可能にしたのは本の虫と称される編者木村君の努力による。同君の真摯な性格を知る者として、語彙研究の進展を願う意味からも、本書を薦めたい。
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◆隠語資料の集大成ともいうべき待望の辞典
松井栄一(日本国語大辞典編集委員)
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これは隠語資料の集大成ともいうべき待望の辞典である。一つの語について何種かの解説が並べられているので一目で比べられ、資料の特徴がわかってまことに興味深い。こういうまとめ方は、隠語研究の基礎としても、また隠語の世界の概要を知るためにも、ぜひとも必要であった。ところが、隠語辞典の中にはさまざまな配列のものがあってその整理に手間ひまがかかること、雑誌や書籍の片隅に載せられていて見つけにくい隠語集も多いことなどの理由から実現がむずかしかった。こうした困難を克服して成った本書に心からの拍手を送りたい。一語一語の解説に典拠の資料名が、成立年を付してていねいに示されていることも大変ありがたいし、さらに位
相別の索引や解説中に出る人名・書名の索引まで付いていて、至れり尽せりである。隠語関係書の文献目録を作成するという基礎作業の上に立っている点、十分信頼できるものとなっており、隠語を研究する人だけでなく、広く言葉に関心をもつ人にも自信をもって推奨したいと思う。 |
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◆奇蹟的な大事業
『隠語大辞典』を引かなければ議論も研究も始まらない
武藤康史(文芸評論家)
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媒垣実編『隠語辞典』不満な点は、ことばの一つ一つに語釈の依拠資料がほとんど示されていないことだった。これはもちろんないものねだりで、そんなことをしていたら簡便な一冊にまとまるはずがなく、先行する隠語辞典類を圧縮して下すった意義ははかり知れない。
しかし、それから半世紀近くが経過し、今や辞書をめぐっては刊行当時の本文をそのまま見たいというのが天下の趨勢である。近ごろ昔の新語・隠語・流行語などの辞典が各種複製刊行されており、古い国語辞典もぞくぞくと復刻されつつあり、過去の辞書史の総体をかなり見渡せるようになって来たが、そんなおりもおり、この『隠語大辞典』刊行の報に接した。過去に刊行された数多くの隠語辞典類の語釈を見出し語別
に再編成した奇蹟的な大事業である。編者発掘の新資料も多く含む。
隠語辞典と分類される辞書は生活に密着した俗語・口頭語・流行語・方言など一般
的な国語辞典からは洩れやすい語彙を果敢に採集しており、一般的な国語辞典と同様に参看すべきものであることは言うまでもない。ただ、一語について調べるのにいちいち数十冊ものそういう辞典を引きまくるのが面
倒なばっかりに丁寧な議論がネグられて来た、という面があったのではあるまいか。
これからは、そうはゆかない。この『隠語大辞典』を引かなければ議論も研究も何も始まらない、ということになるだろう。
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◆ひさしぶりの本格的な隠語辞典の登場
渡辺友左(中京大学教授・言語社会学)
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編者は、本書の冒頭の「はじめに」で、本書について次のように述べている。
近代において、隠語とはどのようなことばと考えられてきたのか。また、具体的
にはどのようなことばが採取されてきたのか。それらを知るための資料として、少
しでも活用される場が存在するとすれば幸いである。
本書の内容は、わたしは読んでみて、この編者の思いに充分に応えていると思った。隠語文献の情報をいわばデータベース化し、今後の隠語研究の基礎を固めるという編者の意図は間違いなく見事に達成されている。
媒垣実編『隠語辞典』が世に出たのが一九五六年。ひさしぶりに言語学者の手になる本格的な隠語辞典の登場である。出版に至るまでの編者の苦労を多とし、媒垣さんの辞典同様、本書が学者研究者だけでなく、学生や一般
人にも広く利用されることを希望する。 |