緑の宝玉
椿 実

 「短歌は一箇の小さな緑の古宝玉である」と白秋は「桐の花」でいっている。桐の花のうす紫の曇り日に燕が群れて飛ぶといった風景は近頃みられなくなったが、ガーデン・チェアには黒猫が坐り、洋酒の瓶が立って、皿の上にあるのは粉っぽいカステラか、桐の落花か。
 こんな飾画が、白秋自装の「桐の花」という歌集に貼ってある。「古い小さな緑玉 は、水晶の函に入れて、刺激の鋭い洋酒やハシッシュの罎のうしろに、そっと秘蔵して置くべきものだ」というから、カステラからもやもやと立ち上がるものは、桐の花の色をちらつかせ、カステラの手ざわり匂う、空気の微動なのであろう。
 宝石の魅力は、物そのものの絶対的価値というより、美しいものに内在する、もやもやとした光彩 にある。

 旅に来て船がかりする思あり宝石商の霧の夜の月
 アーク燈いとなつかしく美しき宝石商の店に春ゆく
 美しく小さく冷たき緑玉その玉掏らば哀しからまし
 
 と宝石象牙商人となってアフリカをさまよったランボオに托して、人妻への憶いを、「緑玉 を掏りたい」と白秋はうたう。緑玉も海のさざ波のような微妙な罅割れに生命が宿って、一滴の血がにじむ憶いがする。
 澁澤龍彦君は孔雀石の指輪をしていて、これが澁澤君が書いた幻想小説の「たましい」なのであろう。玉 の緒をカニがはさみで切ると繍衣の美女が消えうせるという、実朝公渡宋の夢やぶれ廃船となった話を書いている。(ダイダロス)
 「玉の緒よ絶えなば絶えね」と式子内親王が歌ったように、古来玉は魂であった。出雲国造が献上する勾玉 という巴のような形をした、ヒスイを、古代の貴婦人は首に巻いていたが、これが祖霊すなわち「たましい」である。
 古朝鮮では、勾玉は金冠からぶら下げられて、歩揺として用いられたようだが、三笠宮の中東文化研究所で、ペルシャ出土の勾玉 というものを拝見した。これはペンダントとして用いられたものであろう。
 その国によって、緑の古宝玉に寄せる憶いもさまざまのもので、太安万侶の墓からは真珠が出てきた。奈良朝の魂は、アワビの真珠なのである。
 西洋には、碧い紅玉という珍宝があって、シャーロック・ホームズが鵞鳥のえぶくろからみつけるが、一つの面 ごとに、一つの血なまぐさい事件があるような伝説に飾られているのが名宝なのであろう。
 ダイヤも純粋透明に輝くよりは、夕日の中で虹のような七色がもやもやと光るのがきれいなものだナと宝石商の店で父が感に堪えて言ったのを憶えている。ダイヤについて幼い児に語るというのも、アール・ヌーボーの時代だからで、マルキース・カットの母の装身具は毀 れてしまったが、母が「シスイ」の手絡と言って大事にしていた緑の玉はいまだにコロコロしている。タイピンにするには大きすぎるが「ローカン」というのだそうである。
 今の娘たちに、この憶いが通ずるわけもないが、

 忍ばずや 忍ぶ憶いの竹の台

と死者の声をつぶやくような音を立てる。

 わが庭に桐の花の咲く季節となった。桐の花冠は塔に似て、若葉は桐の紋のような形に開く。白秋は桐紋を樹上に描いて、向うは海みたいである。
 せめては、不忍池を緑玉の罅とみて、腰のある江戸焼きのカステラや、桐の花のベタベタする密毛の中にアール・ヌーボー時代の父を憶い母を憶う。
 私にとって、不忍池は、騒然たる東京に静まる、緑の古宝玉なのである。

「うえの」 一九八八年六月