石の中の鳥 |
椿 実
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雪花石膏のランプに灯をつけると、鳥の形に黒い影が浮かぶ。ランプは上を向いた花の形をしている。葉脈のようにアラバスターは光を透かし、石の中の鳥は、今にも翔び出しそうな姿で、凝固している。おそらく、数千年、数万年の昔から、黒い鳥はアラバスターにとじこめられたまま、このランプはビルの十階と十一階の間に置いてある。ランプの隣りでは、腰ばかり太いブロンズの女が恥かしそうに身をすくめているが、黒い鳥はそんなものには眼もくれず、階の四方にはられた、鏡を凝視している。ここは鏡の間になっていて、あわせ鏡の光学的現象で、ランプは左右と天井に向って、無限に奥深く反射している。ランプは次第に小さな映像となって左右の壁にすい込まれるが、その先はどうなってしまうのかは鳥にもわからない。十一階はホールになっているので、「アーレルーヤ。アーアレルーヤ。」とモーツァルトの鎮魂曲が、涙の日の絶唱をくり返している。この七小節を書いてモーツァルトは死んだ。モーツァルトの声は、思いもかけぬ
天の一方から聴こえてくる。二重唱が三重唱になり、四重唱、五重唱になり、と物狂しく断末魔のモーツァルトがサリエリに口述している姿が見える。サリエリは悪魔の正確さで、それを五線譜に書く。8分の12拍子、ニ短調、ラルゲット。「これでいいか」と譜面
を渡すと、瀕死のモーツァルトはうなづく。 micat inter omnes Julium sidus, すべての中にユリウス(カエサル)の星は、さながら天の小さき光体の中に月が輝くごとく輝く。(ホラティウス 詩歌一) 雪花石膏の結晶の劈開面に、黒大理石が混じて、奇しき怪鳥を画きだしているので黒い鳥は
Julius 星を現わさんと、彫刻者が考えた影であろう。翼を正面に向って広げ、その両端は鷲の風切羽のように上にはね上がり、脚は何物かを掴まんとする形の暗黒の鳥だ。くちばしはするどいカギ形で、ハプスブルクの紋章のように双頭であるように見える。人の顔とすれば、狂躁のモーツァルトのするどいカギ鼻と、後ろに巻き上がったカツラのシルエットともみえる。これはモーツァルトが、死の灰からよみがえったようである。「これは天上の曲ではない。」私がつぶやくと愚劣と卑俗の中に閉じこめられたモーツァルトは猛禽のように黒い鳥影となって、左右の鏡の奥に翔び去った。あわせ鏡になった鏡の殿堂の左右に飛び散ったのはモーツァルトの横顔の黒い切り抜きの肖像であったようにも思える。 Ars non habit osorem nisi 芸術はそを知らざるものの他、そを憎むものなし。 サリエリ |
原稿 一九八五年頃?
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註 お読みになってすぐ気付く方もあろうが、ラクリモサ(涙の日)のみならず、レクイエム・ミサ全体の詞にアレルヤという言葉はない。表現から推察すれば有名なK.165の最終部分のアレルヤだろうか。これはモーツァルトの短い生涯では早い時期に書かれた曲だ。ホラティウスを引用するなら典礼文も調べるべきだが、作家にはアレルヤの歌詞が聴こえたのだ、ということにしよう。又サリエリの楽譜云々も勿論脚色で、娘はイェールでなくそのライバル大学に居たことは間違えていないと思う。研究者の方々は礼儀正しく、「椿氏の記憶は時々曖昧」と云われるが、著作を引用する場合には、cum grano salisにてお願いしたい。 |