人物学芸1

B5判・上製・全10巻・各巻平均600頁 
定価180,000円+税
ISBN4-7744-0291-5 C3300
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日本人物情報大系 第5回
学芸編 1
芳賀 登 責任編集・解題

『先哲像伝』『国学者伝記集成』『漢学者伝記集成』『俳人百家撰』『明治俳人名鑑』『大正俳家伝』『小照入 昭和俳人録』他収録。
国学・和歌・漢学の定番資料はもとより、俳諧・狂歌の稀覯書まで網羅。


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「学芸編」の意義・分類

 かつて京都や名古屋、大阪、長崎等ごく限られた大都市や山陽、東海道筋といった地域で出版された諸家、文化人名鑑や各家の門人帳等は、文化人、学者研究に有効な役割を果 たしている。ところが、和本版で刊行されているこれらの資料は各種あるが、高価で入手しにくい。各図書館にあたっても、必ずしも所蔵してはいない。それゆえ、この種の資料はこれまで何度か復刻されてきた。本「学芸編」も研究に必須の基礎資料を提供するのが第一の目的である。

 文献情報をみると、儒学・心学・報徳・洋学・国学・水戸学・啓蒙・アカデミズム・郷土・地理・歴史・教育・芸術・音楽・伝記・日本史・東洋史・キリシタン・交渉史・交通 史・西洋史・国語・国文・漢文・和歌・連歌・俳諧・芸能・書道・建築・風俗・食物・趣味・民俗学・考古学・神話・伝説・地方史・神道・仏教・思想・哲学・文化財・工芸・書誌・憲法・行政法・民法・民事訴訟法・商法・刑法・刑事訴訟法・労働法・国際法・政治学・軍事史・外交史・政治史・社会学・民族学と、思いつくままに挙げるだけでもきりがない。それらを学術・学芸の枠組みで括るのはきわめて困難。ことに人物情報を拾いだそうとすると、伝記・人名辞典・人物誌はもとより、人物研究・個人著作にまで注意を払わねばならなくなる。さらに「女性」「地方」といった他の切り口との兼ね合いもある。無限地獄とは言わないが、次から次へと様々な問題が浮上してくる。知識人や志士的経世家の線引き、文人高士の扱いなど試行錯誤のなかで、本編(第5回配本「学芸編」1巻〜10巻)では国学・和歌、漢学、俳諧・狂歌、その他を収録した。その分類の妥当性はさておき、人物情報を採るのにはある程度情報が交叉している必要がある。その意味からも、この種の分類では資料が総論に傾くのは仕方あるまい。学芸・学術に関わる人々をゆるやかにではあっても、確実に拾うことに意を尽くした。

  

資料解説

1(通巻41)巻

 大阪 優美館/優美館主人 樋口徳翁編『日本名家人名詳伝 上・中・下巻』(1894年)は、「凡例」によると、「碩儒・国学・和歌・俳人・国手・書家・著者・僧侶・女史・奇人・逸人其他有名ノ人士ヲ古今ノ諸書ト識者確論小子ノ見聞」を基準として「凡一千五百余名ノ詳伝及著書ノ目録等ヲ挙テ編参」し、イロハ別 に分類したものである。号・字・名称索引、肖像を付している。ただこれだけのものを集めていながら、その手がかりを明確に述べていないのは残念である。

 東京 春陽堂/西村三郎編輯『近古 慷慨家列伝』(1896年)は、当時の人々がかくありたいと願う人物像の列伝である。佐久間象山はじめ、藤田東湖、蒲生君平、高山彦九郎、林 子平のような君之伝と、『吉田松陰先生伝』『頼山陽先生伝』『渡辺崋山先生伝』『梅田雲浜先生伝』のような先生之伝、『水戸斉昭公之伝』『岩倉具視公之伝』『木戸孝允公之伝』といった公之伝と、様々である。

 東京 盛春堂/渡辺修二郎著兼発行『非凡人物列伝』(1899年)は藤原惺窩、林 羅山、賀茂真淵、本居宣長、佐久間象山等ビッグネーム14名の列伝である。著者である渡辺修二郎は『世界に於ケル日本人』を著し、他の著作からも国際関係に関心を持つ人のようである。

 東京 金櫻堂/村松志孝編輯兼発行『近世儒家人物誌』(1914年)は、1230有余名を収録する携帯に便利な儒家の人名辞書である。井上哲次郎の寄せた序文によれば、当時まだ儒家の人名辞書はなく、本書は学界の欠陥を充たすものである。

 これと関連して井上哲次郎の『日本古学派の哲学』はじめ『日本朱子学派の哲学』『日本陽明学派の哲学』は参考になる。また岩橋遵成の『近世日本儒学史』2冊(1927年)は、各派50名について述べた初学入門的手引書である。西島 醇の『儒林源流』(1934年)は学派ごとに代表的な儒者を網羅し、巻首に雅号人名索引があって便利である。

2(通巻42)巻

  「緒言」によれば、『先哲像伝』4巻(弘化元年序)は徳川時代の儒者数十家の肖像、筆蹟、伝を集めたものである。著者の父念斎善の『先哲叢談』の姉妹編であり、しかもそれより一歩進めたものとの評価を得ている。

  『近世畸人伝』正続10巻(寛政10年)は伴 蒿蹊がその友三熊花顛子の蒐集した材料を刪補したもので、名君、賢相、碩儒、文豪等の事蹟を伝える。挿図は、正編が花顛、続編がその妹露香による。 以上二編は利用の便を考え、1914年刊の有朋堂書店/三浦 理編輯兼発行、有朋堂文庫に収録された活字版を採用した。

  「例言」によれば国友社/田尻 佐編輯『贈位諸賢伝 一・二』(1927年)は、編者が先に刊行した『贈位 諸賢事略』に1200余名を加えた2168名収録の増補版である。母体となっている萩原正年編『勤王烈士伝』(1915年)、『戦亡殉難志士人名録』(1907年)等との関連を意識した研究も今後の課題である。本書のごときものがつくられた背景には維新が過去のものとなり、贈位 位勲が一応一段落したことがある。明治維新の贈位を補い、あとから顕彰されるのもこのころからである。

3(通巻43)巻

 清宮利右衛門発行/清宮秀堅著『古学小伝』3巻(1886年)は、契沖・真淵・宣長・荷田春満ら65人の国学者小伝。生没年月日・著書等を収め、234人の古学伝統図、29冊の引用書目を付す。本書は清原貞雄『国学発達史』(1927年)にすでに引用されており、国学史上の必要とともに、国学研究の上でも重要な書物といえよう。

 国光社/小沢政胤編『慶長以来 国学者略伝』(1900年)は、慶長から明治(33年)に至る300余年間の国学・神道・国史・地理・律令・格式・有職・故実・考証・国語・国文・和歌等の著名人500余名の伝記を蒐集したものである。考えてみれば、芳賀矢一が近代国学の発展に寄与すべく国学とは何ぞやを問う中で、本書が刊行されたことは時代の要請であり、国学者の再検討を企てるための基礎作業を示す。その意味で、本書は国学研究史上の遺産継承である。

 英美堂書店/高木八千編『歌林名鑑』(1925年)は「例言」によれば、天文以来大正に至る四百年間の国語・国文・和歌の著名人約1000人の略伝を収録したものである。イロハ順に排列された伝記と索引から構成され、索引も「雅号」を頭に置き「姓」「頁」を付す工夫が凝らされている。和歌の世界では家元的な伝統が強く、本書のような横断的な名鑑が成立するのは大正14年以降のことである。

 青山堂書房/逸見仲三郎編述『慶長以来 国学者史伝』は「自序」によれば、編者が門弟のために編述したものを中野虎三氏が『国学三遷史』(吉川書房)と題して刊行したが、版権移動、震災による同書の焼失等の理由から今回の刊行に至ったとのこと。その際、多少の訂正を加えるとともに、書名をもとの『慶長/以来 国学者史伝』とし、編述者名義も中野虎三から逸見仲三郎と改めた旨が記されている。『古学小伝』『三哲小伝』等の学問史の継承を示す業績といえるだろう。

4(通巻44)巻

 昭和3年(1928年)刊の著作の序文によれば、関書院/野村八良著『国学全史』上下巻成立の契機は、芳賀矢一博士のすすめで野村八良が国文学史・国学史に精通 しようとしたことにあるのがわかる。本書は構成上、国学の四大人中心のものとなっているが、巻末の「国学/全史 略年表」をみるとまさに全史的なものとなっている。

 関書院/関隆治編『国学者著述一覧』は、細川幽斎をはじ名について氏名・生地・生没年月日・住居・墓所・学党・略伝・著書等を記し、名・号・書名索引を付す。「序」「はしがき」によれば本書は、『近代名家著述目録』(1836年)『近代諸家著述目録』(?年)『慶長以来諸家著述目録』(1893年)『国学者伝記集成』(1904年)からの抄出と後世の著者の補充から成立している。本書は後に森北書店から『国学者著述総覧』の名で校訂、刊行されるが、「名索引」「字索引」「号索引」が省略(213ページから「書名索引」となる)されたことを除けば内容的に変化は見られない。本編では「名索引」「字索引」「号索引」を備えた本書を採用した。

5(通巻45)巻  戻る
6(通巻45)巻

 上田萬年・芳賀矢一の「序」によれば、大日本図書/大川茂雄・南 茂樹共編『国学者伝記集成』
(1904年)は、『古学小伝』『国学三遷史』『国学者略伝』のうえにつくられた偉業である。「姓名索引」「学党表」「国学者年表」「名号索引」を付す。慶長年間より明治36年に至る物故した国学者(神道家・国史家・有職故実家・歌文学家・語学家等)690名の伝記を没年順に収録したものである。なお国本出版社/日本文学資料研究会編纂『国学者伝記集成』続編(1935年)では本書の遺漏を補うべく、明治27年(1894年)以降、昭和9年(1943年)までの物故者を加え、総計500余名の伝記を収録している。

7(通巻47)巻

  「例言」によれば名著刊行会/竹林貫一編『漢学者伝記集成』(1928年)は『先哲叢談』、同後編、同続編、『近世先哲叢談 正編』、同続編所収の漢学者259名に加え、未収録および刊行以降の漢学者122名、合計381名の漢文で記された伝記を書き下し文にしたものである。加えて同書所収の編者による「漢学者年表」は、中国年号と西暦が記されており便利である。巻末には「氏名索引」「字索引」を付す。ちなみに、材料蒐集を担当した関隆治は『国学者著述一覧』の編者である。

 なお、内野皎亭『近世儒林年表』(1910年・1911年増補版・1926年訂正増補版)も、370年間(永禄4年〜慶応3年)を一年刻みで年表化した大年代記風の著作物で使いやすい。

8(通巻48)巻

 関書院/小川貫道編『漢学者伝記著述集覧』(1935年)の「序」をみると「今之を通 覧するに、収むる所のもの一千二百五十六人、一万四千八百余部、挂漏なきに非ざるも、之を既刊に比すれば頗る優れるを覚ゆ」と述べている。「凡例」をみても略伝をはじめ多数の資料を参照し補足している。そのための努力は大変なものである。その積み重ねられてきた時間や労力を思うと、改めて本書の偉業を顕彰し、活用に供する喜びを痛感する。

 関書院/関義一郎・関 義直共編『近世漢学者著述目録大成』(1941年)は「緒言」に「慶元以来、幕末を経て現代に至るまで」とあるように、「元和五年以来昭和十二年まで三百十九年刊の故人となりし専修兼修の漢学者、約二千九百名の著述・編纂・校点に係れる書目を著者別 に列記したる」(凡例)ものである。『漢学者伝記及著述集覧』(1935年)、『漢学者伝記集成』(1928年)から資料を得た旨が「凡例」に記されている。これらの文献を経て斯文会編『日本漢学年表』(1970年)へと発展したともいえる。

9(通巻49)巻

 博文館/緑亭川柳編輯『俳人百家撰』(1894年)は、はじめに芭蕉・宗因ら先哲の像や「往古の発句体」が配されたり、「職人盡発句競」と称して職人の挿画と古人の発句を百人一首の札のように並べてみたりと、遊び心にあふれている。本編も上段に伝、下段に像と句を置き、今草子挿絵風である。江戸時代的な封建的、家元的なものがようやく崩れてきた時代を象徴するもののひとつといえよう。 紫芳社/宮地貞頴編現今俳家人名辞書』(1909年)は、「序」によれば「俳林諸家を一編に網羅し其雅号、氏名、居所、本国及年齢、経歴等より風格特徴の俳句に逮ひ以て登時俳壇の一斑を窺ふ」ものとして企図された。「例言」によれば、本書は『俳人名簿』俳書堂刊・籾山仁三編郎(1908年)に負うところが多いとあり、同書を参照したのは明らかである。雅号によるいろは順排列で、「府県別 索引」を付す。

 俳諧書房/手塚魁三編輯兼発行『明治俳人名鑑』(1910年)は、同書の(春之巻、巻末にある)広告をみると「秋之巻」「冬之巻」「春之巻」「夏之巻」の順に刊行されたらしく、本編には「秋之巻」「春之巻」を収録した。「冬之巻」は既刊ということだが未確認。「夏之巻」は刊行すら確認できない。本書は公平を期し、日本派、秋聲会派、蕉風派を分けず、府県順に編纂した旨が「凡例」に記されている。

 博文館/佐々醒雪・巖谷小波編『俳人逸話紀行集』(1910年)に採られた逸話・紀行は以下の通 りである。 宗祇諸国物語/行脚怪談袋/俳諧世説/滑稽太平記/歌俳百人選/俳家奇人談/続俳家奇人談/白河紀行/筑紫道の記/佐野の和多里/斗薮雑記/江都近在所名集/函館紀行/斧の柄/わがほとけ/そゝろこと/霍芝/馬の上/鶏口集抄。

 書画珍本雑誌社/平林鳳二・大西一外著『新選俳諧年表』(1923年)は、文亀元年より大正12年に至る413年間を対象とした旨が「凡例」に記されている。本編では、いろは順の「俳名索引」と、附属の「俳家人名録」を収録した。その出典典拠として「人物誌・墓所記・句集・追悼集の如き比較的信憑すべき書籍」を材料とした旨の記述が「凡例」にみられるが、「引用参考に資せるもの数千部に及び、一々書目を挙ぐるの繁に堪えざれば之を除く事とせり」として、明らかにしていない。

 この種の書は、俳諧史をトータルに省みてはじめた仕事といえよう。これまで省みられなかったものを伝統として回顧の対象とするに至ったことを意味する。

10(通巻50)巻  

 国華社出版部/大橋音羽著『大正俳家伝』(1924年)は、大正期の俳人として名のある人物を網羅している。が編纂のプロセスが記されていないのは残念である。「巻末に」では「更に『続大正俳家伝』を編輯して」とあるが、存在は確認されていない。巻頭に題辞・題詠、肖像写 真を付す。

 日本俳書大系刊行会/神田豊穂『俳諧系譜逸話集』(1927年)は〈俳書大系〉の一冊であるが、「解題」に説明があるとおり寛文年間の『俳諧作者名寄』以来一七編の俳書に解題を寄せ、全文を掲載している。俳人・俳書研究を具体化するための資料を特集したものといえる。その蒐集・分析は、地方俳諧師の活動を探るのに有益である。本書の如きはその中のほんの一書であるが、江戸時代の文化が決して三都のみならず地方にまで及んでいたことを示すものである。

 横尾文行堂/狩野快庵『狂歌人名辞書』(1928年)は「例言」によれば、「狂歌師の通 称居所等を知るべき便に供せんがため」「著名の人々約三千人を選び五十音別 として採録する事とした」もの。対象としては「狂歌師のみに限らず狂歌とは密接の関係ある戯作者、狂言作者及び狂歌集の挿画に筆を執った絵師等をも加へて狂歌の影響する所を知らしむる事とした、また狂詩家も狂歌師から出た者が多いから之も共に採録した」ということである。

 黎明社/落合久雄編輯『小照入 昭和俳人録』(1930年)は、雅号・姓名・生年月日・職業・本籍・経歴及び、肖像写 真と代表的な5句を掲載している、俳人の人名録といえよう。巻末には「古/今 俳諧年表一覧」が添えられ、便利である。

 あかね社/新井聲風著『明治/以降 物故新派俳人伝 第一輯』(1932年)は、雅号・生年月日・名・通 称・経歴等と、句を3、4収録している。小泉迂外の寄せた「序」によれば、その取材姿勢は「流派に即せず、豊富なる資料によって、各方面 から探査蒐集し、公平に選択されている」ようだ。亀田小蛄の「序」には「これが第一輯とあるから、更に輯を重ねて行くことであろうが」とあるが、第二輯以降は確認されていない。

 「序」によれば、素人社/素人社編『新版 現代俳人名彙』(1935年)は、当時俳壇に興っていた新興俳句運動の影響で、新たに俳人名簿を見直そうという気運のもとつくられたものらしい。「例言」によると、対象は「現存作家」。「雅号、現住、生年月、生地、職業、俳歴」及び「二三の俳句」を収録している。雅号による五十音順で排列し、同順索引の他に府県別 索引を付す。巻末には、府県別の「俳句雑誌総覧」が附録として掲載されている。

おわりに  

 本編は「学芸編」の前半部である。後半部は次編(第6回配本「学芸編」11巻〜20巻)に収録する。洋学者を中心に掃苔録等、本編未収録の資料が予定されている。本大系の「学芸編」は本編と次編でひとつのものである。前半の和学者、後半の洋学者で学芸に関わる人物を網羅しているという自負はある。とはいえ、無数に存在する資料のすべてを確認できたわけではない。広い読者、利用者によって今後補完されんことを期待したい。

 平成12年7月
(はが・のぼる 筑波大学名誉教授)
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