人物女性

B5判・上製・全10巻・各巻平均600頁 
定価180,000円+税
ISBN4-7744-0266-4 C3300
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日本人物情報大系 第1回
女性編
芳賀 登 責任編集・解題

「女性叢伝編」「女性録編」の2部から構成。有名人、立身出世の達成者や烈女、貞婦はもとより、軍国の母、救護員まで、5万人の女性を収録。知りたいあの人から知らなかった人々まで、女性人物情報の決定版。


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日本人物情報大系 第1回配本

女性編[解題


芳賀 登


1 「女性編」の意味

 『日本人物情報大系』を刊行するにあたり、第1回配本として女性叢伝編5巻、女性録編5巻、計10巻を収録したことは画期的なことである。なぜならば、日本の人名辞典のなかで女性の占めるパーセントは低い。収録人数も高群逸枝の『大日本女性人名辞書』が3千人弱、最新の『日本女性人名事典』でもせいぜい7千人を超える程度に止まっている。 一般の人名辞典でも収録人数からみれば多いもので5万人ほどにすぎず、女性の比率は著しく低い。しかし本大系は女性編だけでも5万人弱、全体では百万人をを超えようとする人物の伝記情報を収録する。これらの事実に鑑み、本大系の「質」「量 」は他を圧倒的に凌 駕するものと言えよう。

 本「女性編」が他と一線を画すためには、少なくとも女性叢伝類と女性録類をともに収録し、7千人の壁を超える必要があった。というのも本企画の趣旨からして、従来の女性人物資料、しかも名のある人物中心の女性資料を乗り越えなければならなかったからである。したがって本書では、女性人名辞典の参考欄にのっているがごときものははもちろん、従来あまり顧みられなかった史資料探しに力を尽くし、稀覯書よりも叢伝や銘々伝のごときもの、多くの人々が並べられているものを選んだ。それにより、何らかの意味で社会的に活躍した人、立身出世した人や烈女、貞婦、孝女に止まらず、広く無名の女性の生きた姿をとどめることに成功した。


2 女性叢伝編

 とはいえ、時代の風とか性格もあって、こうした資料集の作成は長い間難しかった。封建時代の『女大学』は薦める女性像として烈女、貞婦、孝女を求め、それが明治初年になって良妻賢母へと変化していく。いずれも資料によってさまざまで、その評価も異なる。それは職業婦人についても同じで、かつては女性の社会進出を一部の有名人の伝記に求める風潮が強かった。その点本書は面 白い。時代をシンボライズするものを、頂きのみならず裾野にまで追い求める。叢伝編に収めた『名媛の学生時代』『近世名媛伝』〈「大和なでしこ」臨時増刊号〉のごときものは、若かりし頃の名媛の生きざま、たとえば下田歌子のごとき「烈女」とも言うべき女性の姿を鏡として、その時代の求める女性像を知ることができる。『男女修養 夫妻成功美談 第一編』「明治時代の婦人」(『婦人美譚』所収)では、勤勉努力して立身出世に力を尽くす女性像が垣間見える。樋口一葉も女性の成功を求め、女戸主として明治社会の求 める女のあり方と闘った人であろう。

 これまでの女性史は女性解放に偏り、「闘う女性」「立志伝中の女性」たる側面 をあまり取り上げていない。女の性は悲しい忘れものであるという捉え方はあまりに一方的なものではないか。女性の職業を狭く決めつけ、社会参加を認めようとしない。そんな偏りを叢伝中の女性たちに今一度問い直すときがきた。単伝が個人の生き方の現れであるのに対し、叢伝は集団としての側面 をも映す。『女優かゞみ』 『女優の告白』『女盛衰記―女優の巻―』は、女が女として世に生きた記録であるとともに、職業婦人としての女優というもうひとつの意味を含むものである。その広がりが、女性の歴史をもっと豊かにし、人生をトータルで考えてみるとき、男と女の歴史は対立、支配を軸とした関係だけでは捉えられないひとつのものとして立ち現れるであろう。

 そうしたアプローチを考えたとき、たとえば神崎清が試みた『近世名婦伝』『現代日本婦人伝』『現代婦人伝』の三部作とも言うべき仕事は、彼の婦人研究の多くの著作と関連づけて位 置づけ、それを世に問うたのが戦中であったことの意味を問い直したい。それが、同時に本大系に収録した従軍看護婦の殉難記『支那事変 救護員美談』、戦死者の遺族の記録『軍国の母の姿』にみる国威高揚の時期と同じ頃であったことを思うとき、時代を見る目自体を改めて考えるべきであろう。


3 「女性録編」の独立

 「女性録編」では、『初版 大日本婦人録』を手始めに、『婦人社交名簿』『現代名婦大鑑』と続く。女性関係の人名録は、日露戦争後に『大日本婦人録』がみられるが、第一次大戦後には『婦人社交名簿』として出版され、大正期には最初の婦人年鑑があらわれ、その中には、のちの「婦人録」のような体裁はいまだ整わないながらも婦人録的な資料が収録されている。けれども、それが一般 化するのは日本の婦人運動が組織化され、婦人参政権運動となって具体化する1930年代の初頭からである。戦争によって不足する男性労働力の補完としてさまざまな分野に女性が進出し、婦人労働も本格化するが、その証としてこれらの「女性録」を検討すべきであろう。

 もちろん、この種の出版は労働年鑑をはじめ、さまざまな年報類につぐもので、昭和15年、いわゆる紀元2600年には大政翼賛会の成立を期に聯合婦人会がなくなり、「婦人録」類も出版されなくなる。こうした結末は、「婦人録」出版ががあくまでも政治目的であり、公共のための運動と化していることと関わっている。1930年の『日本婦人録』も、「一技一芸に長ずる婦人、社会的に活躍せる婦人、内助の功にすぐれたる婦人」の顕彰を旨としている。また、1935年の『日本婦人の鑑』には母徳顕彰録的なものもあり、どうしても婦徳涵養的性格が強い。それだけに、事実と婦徳の両面 をどう扱うかがテーマであった。

 戦後は日本婦人新聞社や婦人文化協会が「婦人録」を出版している。編集主体の変化と時代状況により様相は一変。1959年の『日本女性録』に見られる大幅な変化は分析の対象となるであろう。まだ現在のところ、史資料蒐集整理の段階で分析が立ち後れている。したがって、本大系で『日本女性録』を含む現在知りうる限りの「婦人録」類を収録したのには理由がある。というのも、広域的、体系的情報収集が困難な状況下でのかかる資料の現出こそ、分析対象と考えたからである。


4 本編の特色

 現在のところ女性人名辞典は氷山の一角のごときもので、水面下の膨大な情報をクローズアップするのが本編の基本姿勢である。本体系のベースには、人名辞典、叢伝、列伝、人名録など約5千点に及ぶ独自のリストがある。本編はその「女性編」にあたるもので、『国書人名事典』『和学者総覧』『日本人物文献目録』でも扱いえなかった膨大な叢伝類の整備に着手している。しかも、既刊類似企画に見られる単なる稀覯書の復刻とは一線を画する人物情報源として横断的検索に耐える人物情報索引を企図している。

 こうした配慮は、文字通り『日本人物情報大系』の端緒的な作業であり、情報化時代の学問の方向付けに大きく貢献する基礎研究であると自負している。従来対象とすることが多かった近代以前を近現代にまで広げるため、史資料の蒐集・選択には相応の配慮をもってあたったが、この企ての具体化には多くの知的インフラを支持する人々の変わらぬ 友情と学問愛が必要である。諸氏の厚情を心から希望するものである。

(はが のぼる 筑波大学名誉教授)
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