我身ひとつは
椿 実

 髪の毛の薄い女だつたから、別れは一層あはれである。女は涙も浮べずに唯白いうすべつたい顔をして夕ぐれの鉱石のやうに光る空をみてゐた。普段から口数の少い女だつたから、胸一ぱいの感情をきりりとこらへて今更何も言はなかつた。額のところで大きく二つ渦を巻いた女の髪の頭の地まで 透いて見えるのが貧弱な肩をよけいみすぼらしくして、省線の窓から女のバスケツトと大きな手下げを入れてやつた時に「すみません」とそれだけつぶやいた。「じや」といつて走り去る電車を見返りもせずに歩く。駅を出るとポケツトから白線帽を出して深くかぶつた。君代はこれから北国の名も知らぬ 街へ行くのである。遠い昔に別れた男をたよつて行くのである。そこはあの女の故郷で君代の棄てた子供もゐるといふのである。非力な自分を思ふまい思ふまいとして又これから一体どうしたらい丶んだとくどくど思ひ返してゐた。
 君代は父の盛だつたころの妾である。耕一の父が負債を残して死んだときも君代の名儀にしてあつた妾宅は差押を免れた。その後は知らぬ 。姉二人がうるさく君代をめのかたきにして、父の法事にも君代が来ると泣いて怒つた位 だから、耕一の家とはすつかり切れてゐたらしい。それが東横線でなつかしさうに「耕ちやん」と声をかけられて、父の形見を預つてゐるから是非寄つて―といはれてみると、何となく女恋しい憶も手伝つて九品仏の君代の家までうやむやにさそはれてしまつた。女の家は同じやうなヒバ垣の並んだ構の一つで、霜どけでブクブクもぐる小路を二つばかり折れた角だつた。門前の枯れた芝で草履をすばやくぬ ぐつて上ると、「どうぞ」と強い抑揚で言つて耕一のカバンとマントを持つて奥へ入つてしまふ。てもちぶさたにして緋色の三味線覆なんかみてゐると「お気楽に」などといひながら埋火をかきたてて茶を入れた。いつまでも三味線掛をみやつてゐる耕一に気づくと、「あら もうそんなもの とうに忘れちまひましたわ」と言つてあかくなつた。「お好き」と眼を流すから「いやわからない」と困ると、ツと立つて三味線をかかへるとツンツンと三下がりにしてペタリと横坐りにすはつた。死んだ親父のこれが愛人かと思ふと、なまめかしい思が一寸流れた。「ね、だめでしょ」と何か弾きさしてそのまま三味線を置いて、「もう何年も弾かないもんですから」と長火鉢に手をかざす、その手があれて爪の色も悪かつた。このごろのことなど、話したくもないのにポツポツ話しあつてゐるうちに、水商売をしたらしくもない妙に素朴なしみじみした君代のよさもわかつてきた。二番目の姉のやうな軽躁な熱情的な女も、嫁にいつた一番上の姉のやうな気位 の高いおびんなりもいやなものに思つてゐた耕一だから、めだたぬやうにみえて、だんだんにしみ込んで来る女の情緒がうれしく、耕一が夜店でかつた真鍮ぎせるでしけたキザミを吸ふと、箪笥の細い引出しから、金の豪奢なきせると鉄斎の緒じめの煙草入を出してきて、「お形見ですのよ」といつてくれた。精巧な般 若の面の根じめは耕一も見憶えがあつた。「よくこんなもんが残つてましたね」「僕にはもつたいない」といふと、「坊チヤマがそれ位 のものおもちになるのあたりまへですわ」といつてうれしさうに笑つた。あまり君代がうれしうさうなので、ずしりと重い父の金ぎせるですつてみて「やつぱりうまいね」と笑ひかへす。君代とはこんなことから深くなつた。その女は教育のない女だつたけれども、自分の限界といふものをよく承知してゐて、それ以上に 出しやばらうとは思いもよらぬ 女だつたから、ゆかしい陰影がいつも残つた。二言めには詩だとか、悲劇だとかいひだす二番目の姉よりも耕一には君代の人情をかみしめたやうな教養が美しく思はれた。父の残した石川光明作の象牙ぼりの観音を、後生大事にまつつてをゐたり、歯がいたむといつて梨だちをしたりする君代の渋い迷信も、彼が帰るとき、きまつて打つてくれる切火で、けがれを清めるといふ女の真面 目な顔をみては笑へなかつた。そのころ女に他の男があることも うすうす知つてはゐたがとがめる気もしなかつた。すつかり板についた女の生活をみだすのも心ないことに思つたのである。そのころ君代は俺に惚れてゐるんだと耕一は知つてゐながら、義理が立たぬ と耐えてゐる君代に 子供あしらひされるのがいやだから別にどうしようとも思はなかつた。それが姉たちに感づかれ、母にまでひどく心配されて、涙ながらに「あんな女とはキツパリ別 れておくれ」「傾いたこの家を興さねばならない唯一人のおまへにまちがひでもあつたら私は生きてはゐられない」などど激しておろおろ言はれると、むしろ迷惑でいまはしい関係なんぞこれぽつちもないのだつたが、そんな「世が世であつたら」式の芝居がかつた母や姉をいやだいやだと思つて鼻じろんだ。上の姉は義兄までつれて「あんなけがらはしいとこへよくも行けたもんだわ」と言ひに来た。京都の法科を出て父の後盾でめんだうをみてもらつてゐたおとなしい義兄はしきりに「弱つた。弱りました」と一人で恥入つてゐた。二番目の姉とはあれ以来一度も口をきかない。自分のスエーターをほどいて編みかけてゐた耕一の靴下も、これみよがしに人形のガラス箱の上にほこりにまみれてほつぽらかしてある。母や義兄が君代へぢかに談判に行つた様子で、そんなにまでして寄つてたかつて君代を辱かしめる家族達へもやりばのない憤激が湧いて、今はあの女をつれて何処へでもかけ落したかつた。家を出掛けようとする耕一に「何処へ行くのよ」と泣顔で言つた下の姉へのつらあてに、「君代のとこ」と言ひすててガシガシ歩く。
 君代は丁度母達をかへした後と見えて、さすがに青い顔をしてゐたが、いつものやうに迎へた。「おい、どこへでも行かうよ。」と言つて女の手を引張つて外へ出ると、君代は「え丶」と素直についてきた。それからあてもなく船橋で省線を下りて、ドブくさい宿屋に二晩寝た。それでも女は「大事なおからだだから」と言つて決してすべてを許さうとしない。潮くさい入江の貝殻の上を歩きながら、こんなにも女をいとしいと思つたことはなかつた。けれども二晩目には女のそらぞらしさにかんしやくをおこしてひどい喧嘩をしてしまつた。「わがままなところがお父様そつくり」などと水をさされると女の愛想をつかされようとする芝居なんだとは重々意識しながら、二十才も年上の女の愛情が急にいまいましくなつて、「そんなら別 れてやる」とばかり、夕陽をうつした蓮田の中の道を一人で帰つてしまつた。

 すつかりあきらめたやうな君代と、愛想をつかしたと思ひ込みたい耕一はそれでまもなく別 れたのである。わかりきつた自分のみれんが煙草のやにのくすぶるやうにジリジリ鳴つてゐた。  しんかんと静まつた家へ帰つて、だまつて玄関からとつつきの自分の部屋に入つてスタンドランプをひねると、オレンヂ色のその光が 白い壁に双曲線を截つてうつつた。「耕ちやん?」といつておづおづ入つてきた姉がみじろぎもしない耕一を椅子の後ろから抱くと、そのままオイオイ泣き出した。スウエーターをきただけの姉の乳房が、肩をぐんぐんおして、しめつぽい髪が頚すぢにへばりついた。立上がつて「ごめんね」と耳こすりして、背の低い姉を抱きしめると、「もういやよ。もういやよ」といつて頭をかすかにふるはせながら、母を呼びにかけて行つた。家が破産して婚期の後れた姉を、新しく憐む気持が、せきを切つたやうにぐいぐいと甘ずつぱく溢れてきた。

March 27 1946 「助川君追悼 級会雑誌」 Vol. I No. 1 1947