皓星社二代目を引き継いで 晴山生菜
昨年2017年9月、株式会社皓星社の創業者・藤巻修一より社長職を引き継ぎ、二代目になりました。
現在は藤巻と私の共同代表制で、藤巻は会長、私が社長です。これから数年をかけて、日常業務を行いながら経営面の引き継ぎをしていきます。いってみれば、私は今「社長見習い」のようなものです。
2012年2月、「人文書の出版社で働きたい」という非常に漠然とした考えだけで皓星社の扉をくぐった時には、夢にも思っていませんでした。この間のことを、少しく書き記しておきたいと思います。
◆雑誌記事索引データベース「ざっさくプラス」のこと
そんな憧れと希望を持って入った会社でも、慣れれば嫌な面が見えてきます。付き合いたての頃には世界一に見えていた恋人の、ちょっとした欠点が気になりだすようなものでしょう。私もまたそうでしたが、自問自答を繰り返しながら、日常雑務に追われるうちに風のように日々は過ぎてゆきました。
仕事が面白く、些細なことが気にならなくなったのは、出版ではなくデータベース事業に積極的に関わり始めてからでした。ちょうど、入社から1年ほど経った頃だと思います。弊社では出版と同時に「ざっさくプラス」というデータベースを製作・運営しており、その日常業務から営業までを少しずつ担うようになっていきました。これは人員構成の変更(はっきりいえば人手が減ったこと)による不可抗力だったのですが、私にとっては幸いでした。漠然としていた情熱の注ぎ先が、明確になったからです。
「ざっさくプラス」最大の特徴は、他社の商用データベースや国立国会図書館の「雑誌記事索引」、国立情報学研究所のCiNiiでは検索できない戦前期の雑誌記事や、戦前・戦後の地方の雑誌記事を検索できることで、主として人文社会科学の研究者や図書館員に活用されています。明治や大正、昭和初期に誰がどんなことを書いてきたのかを、詳細に検索できるデーターベスは、他にありません。好きな作家の知らなかった作品はもちろん、未知の作家による面白そうな作品を知って心の底からワクワクしました。学生時代に戦前のことも調べられていたら、自分の卒業論文(日本近代文学が専攻でした)だってもう少しマシなものが書けただろうに、と思うと俄然燃えました。何しろ、営業に行ってこの商品の魅力を説明する人間は私しかいないのです。
営業の成果も多少はあったのでしょうか、2015年当時から少しは導入機関も増え、現在では国内120、海外60機関で採用されています。
◆「出版社」の鉱脈を探して
上記の「ざっさくプラス」の営業は、大学が次年度の予算を検討する5〜7月、9〜11月の約6ヶ月間に限られ、この間の半分の期間は東京を離れますが、残り半分ほどの期間は会社にいて出版の仕事をしています。夏には畑を耕して冬には出稼ぎに行く農家さんのようで、忙しなくも面白い日々です。
近年は、シリーズ紙礫(2015〜)や挿絵叢書(2016〜)といった文学作品のアンソロジーシリーズのほか、歌集や、「本に関する本」の刊行が増えてきました。自然とそのような傾向になってきたのですが、これは望外のことでした。この鉱脈を自分のものとして、掘り深めていこうとしています。
皓星社で私が初めて企画した『証言 連合赤軍』(2013)や、『放射線像 放射能を可視化する』(2015)も、近年の出版傾向と無縁ではなくむしろ地続きのものとして、続けていきます。
藤巻が専門としてきたハンセン病関係の書籍や、アナキズム関係の書籍を企画することは、私にはできないでしょう。それは大前提での継承です。社名や出版理念を引き継ぐことはできても、創業者と継承者が完全に思考を共有することは不可能だからです。「出版社」を継承することの困難は、ここにあると思います。私がこれから何十年かを持ち堪え、次の人に会社を手渡すことができたとしても、それは同様です。継ぐ者にできるのは、在庫を絶やさないくらいのことでしょう。自分の鉱脈は自分で、見つけなくてはなりません。
◆「起業」ではなく「継承」する理由
それでも自分で出版社を起業するのではなく、この会社を継承しようと決めたのは、「ざっさくプラス」があったからですし、その祖業はやはりこの会社の出版であるからです。
本ならば、出版社がなくなったとしても図書館や古書を利用して読むことができますが、データベースは運営母体がなくなってしまったら、もう使えません。誰が何を、いつ、どの雑誌に書いたかという記録を、私はできるだけ次の時代に消さないで残しておきたいのです。それは基礎学問を軽視する政策への抗議の心でもありますし、かつて誰かが情熱を傾けて何かを書いた、そのこと自体に非常に惹きつけられるからでもあります。
私は今31歳で、藤巻が皓星社を立ち上げたのと、ほぼ同じ年齢になります。この年齢で、というタイミングにも、不思議な縁を感じています。これから、一体どれだけのことができるのか。引き継ぐだけではなく、新しい何かを加えていけるのか。遠からず(1年後?それとも2年後?)「見習い」を卒業しましたと、あらためて皆様に報告できる日を目指して参ります。
2018年8月 晴山生菜